よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

三十歳過ぎて初めてラピュタを見たおっさんの感想

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はじめに

何日か前のブログに書いた通り、

私が初めてラピュタを見たときの話を書こうと思います。

 きっかけは嫁から送られてきたこの記事です。

rocketnews24.com

私も、この筆者さんと大変よく似た条件で初ラピュタを経験し、

いろいろと思うところがあったので、記憶をたどりながら、

当時の思いを綴っていきたいと思います。

 

まず、私が初めてラピュタを観たのは、

2012年、私が33歳のときでした。

その理由は後述します。

 

その時点で、上記記事の筆者さんと同じく、

私もほぼジブリ作品を観たことがありませんでした。

それは今もあまり変わってません。

意図的に避けてるわけではないのです。

私の生活習慣の中において、映画を観るという選択肢が、

めったに出現しないだけのことなのです。

 

特に、映画館に行ってまで映画を観るというのは、

私の人生においてかなりレアです。

私の周囲の人たちは、私がそこそこドラクエ好きなのを知っているので

「ユア・ストーリー観た?」

などと聞いてくるのですが、観てるわけないんですよ。

私が、一番最近観に行った映画は、知り合いとネタで観に行った

ドラゴンボールZ 復活の「F」】でした。

それより前になると、【スピード】です。

スピード1ですよ。1994年なので、私が中3のときでしょうか。

っていうくらい、映画館にはまず行きません。

 

じゃあ家で観ればいいじゃんって話なんですが、

私にとって、映画を観るという行為は、

最初のハードルがすごく高いのです。

一度観始めたら、今から約2時間拘束されるぞ、という思いが邪魔をして、

それなら気軽に他のことをしたい、と思ってしまうんです。

気軽さという意味では、過去に観たことがある映画は、

気軽に観られます。だからコマンドーとかは

何回か観ちゃったりするんでしょうね。

でも、なぜか初見の映画に対しては、すごく身構えてしまうのです。

 

これは本当に感情的な問題であって、論理的でないことは

自覚してます。

だって、ブログ書くのに平気で2~3時間費やしてますからね。

 

「子どもの頃に、家で観なかったのか?
 金曜ロードショーとかで散々やってたろ」

という声もあると思いますが、観なかったんですよね。

子ども時代になぜ観てなかったのかは、よく覚えてません。

私が観たことのあるジブリ作品は、

大学の英語の授業で見せられた、

英語版のとなりのトトロと、

カリオストロの城くらいです。

私はルパンが好きだったので、カリオストロの城

ジブリ作品というよりも、ルパンの映画として観てました。

実際、だいぶあとになってから、カリオストロの城

ジブリ作品だと知った想い出があります。

 

長くなりましたが、ここまでが前置き。

 

ラピュタを見たきっかけ

そんな私が、なぜラピュタを観ることになったのか。

それは、再度書きますが、2012年、私が33歳のとき、

ラピュタの音楽を演奏する演奏会に参加することになったからです。

私がヴァイオリンをガリガリ弾いていた時代です。

 

普通であれば、

ラピュタが好き

ラピュタの音楽も好き

演奏会に出たい

 

というのが正しい思考でしょう。

実際、その演奏会の参加者を募集してた際にも、

ラピュタの音楽が好きな人 募集!】

みたいな感じだった気がします。

ラピュタを観たこともない私が、なぜそれに参加しようと思ったのか、

今となってはよく覚えてません。

もしかしたら誰かに誘われたのかもしれません。

 

ラピュタ好き?」

とか聞かれて

「好き」

とか嘘をついたのかもしれません。

覚えてませんけど。

なので、その当時の団員にこの記事を読まれると

ラピュタが好きでもないのに参加してやがったのか、この野郎!」

と怒られるかもしれませんが、もう時効ということで。

 

で、演奏会に出るからには、ちゃんと映画を観ようと思ったのがきっかけです。

どのシーンでどんな曲が流れるのかを知っていたほうが、

演奏も楽しめますし、何より、他の団員さんと

ある程度話を合わせられるくらいの知識は仕入れておかないと、

という強迫観念もあったかもしれません。

 

嫁は人並みにジブリを観る人なので、都合がいいことに、

家にはラピュタのDVDがあり、それを観ることにしました。

 

子どもの頃に観たかった

観終わった際の感想としては、

上記記事と同様で、

「子どもの頃に観れば楽しめたんだろうな」

というものでした。

つまり、33歳の私は、ラピュタを楽しむことができなかったのです。

それはなぜか。

 

端的に言うと、観ている最中にどうしても

「そんなわけないだろう」

という心の声が邪魔をして、

素直に物語を受け入れることができなかったのです。

 

もう少し具体的に書くならば、

やはり、パズーがあまりに出来すぎでした。

特別頭がいいわけでもなく、特殊能力も持っていない、

ただの少年であるパズーが、勇気と冒険心だけで、

あらゆる局面を切り開いていくことに対して、

さすがに無理があるだろう、と感じてしまったのです。

 

銃を持った悪党どもを相手に、子どもひとり(ふたり?)が

対抗するってのはさすがに、ねえ。みたいな感じですよ。

 

心の溝(みぞ)

当時の私は、なんとなくこんなイメージをしたのです。

人間の心には溝があるんだ、と。

生まれたての赤ん坊の心はまっさらで、

この世で生きていく内に、価値観や人生観みたいなものが、

溝として心に刻まれていくのです。

心は、子どもの頃のほうが柔らかくて、

いろんな溝が容易に刻めるのです。

大人になるにつれて、段々と心は固くなり、

新しい溝を刻むことは難しくなっていきます。

 

突然何を言い出したのかと思うでしょうが、

私の心には、ラピュタの話を素直に受け入れられる

溝がなかったのだ、ということです。

 

大人になった私が、ラピュタの駄目な点を

あげつらうことは簡単です。

上述のように、パズーの活躍に無理があり、

言ってしまえばご都合主義すぎるでしょう、と。

しかし、こういった指摘にはあまり意味がないということも、

また分かっているのです。

 

例えば、私はドラえもんは好きです。

過去のドラえもんの映画を今観ても、きっと面白く観られます。

しかし、おそらく、大人になってからドラえもん

初めて観た人が居たとしたら、やっぱりいろいろ言うと思うんですよね。

タケコプターなんかで飛んだら、首の骨折れるわ!」

とか、そういうことを。

でも、私の心には、ドラえもんを楽しめる溝は刻まれているので、

タケコプターとはそういうものだし、たとえ現実的に、物理的に、

頭にあんなものを付けても飛ぶことに無理がある、と主張されたところで、

そんなことはどうでもいいんですよね。

そんな無粋なツッコミしてないで楽しめよ、と思うわけです。

 

私が、パズーに対して感じる違和感も、

それと変わらないと思うんですよ。

ラピュタが好きな人にとっては、パズーの活躍に無理がある点なんて

どうでもよくて、そんなことより物語を楽しめよ、と思うことでしょう。

  

ただ、ドラえもんは、映画が何本もありますし、

通常のテレビシリーズもあって、世界やキャラクターの設定を

繰り返し植え付けることができたという点においては、

1回こっきりのラピュタとは単純比較はできないかもしれません。

 

なので、子どもの頃に観たかった

結局のところ、ラピュタという作品の良し悪しではなく、

観る側の人間に、それを受け入れられる溝があるかどうか、

という問題なのかなと思いました。

だからこそ、「子どもの頃に観たかった」と思うのです。

子どもの頃に観て、一度心に溝を作っておけば、

今観ても楽しめたはずの作品が、楽しめない。

なんだか寂しいではないですか。

 

もちろん、子どもの頃に触れたすべての作品が、

今も面白いと感じられるわけじゃないでしょうし、

一定以上のクオリティというのは必要だとは思います。

 

ですが、子どもの頃にいろんな作品に触れて、

心にたくさん溝を作っておいたほうが、

大人になってからも人生が楽しいかもしれない、

そんな風に感じました。

だから、情操教育って大切なんだなとも思いました。 

 

それが、33歳で初めてラピュタを観た私の感想でした。