よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

10周年

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※何故HIDEギターなのかは読めば多分分かります

いやぁ、10年経ちましたよ。ついに経ってしまいました。

何の話かって、ヴァイオリンの話です。

今年の2/25(水)で、私がヴァイオリンを弾き始めてから丸10年なのです。

正確には、弾き始めてからではなくて、

教室に通い始めてから、ですね。

今日は、自分の音楽遍歴やヴァイオリンの想い出なんかを

いつものようにだらだらと書いていきたいと思います。

以前書いたことがあるネタとかぶる部分もあると思いますが気にしない!

そもそも、自分はいつ頃から音楽が好きだったのか。

記憶にある限りでは、小学校時代からだと思います。

音楽の授業でピアニカを弾く(吹く?)のが楽しくて楽しくて、

両親に「家でも弾きたい!」と強く訴えてマイピアニカを買ってもらったのを覚えています。

家にピアニカが有ったところで、

一体何を演奏してたのかはあまり覚えてないんですが、

音楽の授業で配付された歌のプリント(楽譜付き)を見ながら、

歌のメロディーをなぞっていた記憶がうっすら。

後は、適当に耳コピしたドラクエとかですねw

そう考えると、一応小学校の時から楽譜は読めたんですね。

今だに初見力がものすごく低いのはなんでなんでしょう。

小学校の音楽の授業では、

カルメン前奏曲」や「双頭の鷲の旗の下に」なんかを

練習してたんですが、自宅でも練習を重ねていた私は、

恐らく学年一ピアニカが上手かったと思います。

ピアニカマスターと呼んでくれ。

小学校の時から歌も結構好きで、親が歌好きだったこともあり、

カセットやらCDやら色々と買ってもらえました。

ちなみに一番最初に買ってもらった音楽カセットテープは、

徳永英明の「夢を信じて」です。

当時やってたドラゴンクエストのアニメの主題歌だったんですよね。

そしてその後に、ゲームの方のドラゴンクエスト1~3のBGMの

カセットテープも買ってもらいました。

「これでいつでもドラクエの音楽が聴けるぜ!」と

当時の自分が思っていたのかは定かではないんですが、

私のドラクエ音楽好きはもうこの頃から植え付けられていたんですね。

今だに序曲を聴くと鳥肌が立ってテンション上がっちゃいますよ。

ドラゴンクエストヒーローズももちろん買いました!

ゲーム音楽をわざわざ別途購入するという文化は、

多分この当時は珍しいことだったんじゃないかと思います。

そもそも、販売自体があまりされてなかったんじゃないかと。

ちなみに、この時買ってもらったドラクエのBGMカセットは、

当時の同級生から

「林間学校だかに行く時にバスの中でかけるから貸して」

と言われ、貸したところ紛失したらしく二度と返って来ませんでした。

次に、レコードに手を出すわけですが、

一番最初に買ってもらったレコードは

多分、長渕剛の「乾杯」だったと思います。

当時、長渕が主演していた、親子ゲームや親子ジグザグといったドラマが好きで、

ドラマを見ていると必然的に主題歌を聴くわけで、

「SUPER STAR」やら「ろくなもんじゃねえ」やらを聴いてる内に、

ピーピー言うようになって長渕剛の曲が欲しくなったんだと思います。

でも、何故に最初が「乾杯」だったのかは謎。

そして、時代は流れCDが登場するわけですが、

私が最初に買ってもらったCDは

BBクィーンズのアルバムでした。ギンギラパラダイスが入ったやつです。

そのくらいの頃から、すごい勢いでCDを買うようになり、

親にいくら使わせたんだろうと思うと胸が痛くなります。

そんな小学校高学年くらいだった私は、プロレスが好きで、

日曜深夜(だったかな?)にやってた全日本プロレスをほぼ毎週見てたんです。

三沢光晴がマスクを脱ぎ捨てた試合はリアルタイムで見てました。

まだジャンボ鶴田が活躍していた時代です。

なので三沢さんの訃報は結構ショックでした。

話が脱線しまくりですが、深夜のプロレスを見ていると、

合間のCMで何だか格好良い曲が流れてくるんですよ。

「何この格好良い曲!欲しい!」

となり、兄だか母だかに、誰の何という曲なのかを調べてもらいました。

今考えると、ネットも無い時代に、CMで流れた曲の正体を突き止めるのって

結構難易度高いですよね。どうやってたんだろう。

果たして、その曲はB'zの「Easy Come Easy Go!」だと判明し、

この時から私はB'zにハマってしまい、

現在に至るまでCDを買い続ける羽目になるのです。

「EPIC DAY」ももちろん予約しました。

B'z一色になってしまったのかと言えばそんなこともなく、

カセットテープが紛失したドラクエに関してはCDで買い直し、

ファイナルファンタジーのCDも買うようになり、

FF3のサントラが欲しくてCD屋にあったものを

ろくに確認もせずに買ったところ、

アレンジ版だったり歌が入ってたりで驚愕。

いや、良い歌でしたが、私は8ビットサウンドが聴きたかったんです。

そして完全に転機となるのが、

私が小学校6年の時に、兄が買ってきた

X(現X JAPAN)のアルバム「Jealousy」ですよ。

これで完全に人生が変わりました。

これがなかったらどんな人生を歩んでいたんだろうと

思うことはままあります。

兄に「”Joker”って曲が格好良いよ」と言われ、

聴いてみたところこれにドハマりし、

来る日も来る日も狂ったように「Joker」を聴き続ける日々。

他の曲を聴くという選択肢はありませんでした。

兄が見かねたのか「”Say anything”も良い曲だよ」

と教えてくれて、聴いてみたらこれまた名曲で、

来る日も来る日も狂ったように「Joker」と「Say anything」を聴き続ける日々。

当時の私はマシーンか何かだったんですかねw

その年の紅白歌合戦にXが出場し、

「Silent Jealousy」を歌ったんです。

これのBメロに痺れてしまって、

「Jealousy」の曲目を見てみたら、

しっかり「Silent Jealousy」も入ってるじゃない!

「なんで、アルバムの他の曲を聴いてなかったのか」

とここで初めて己の愚かさに気付き、

来る日も来る日も狂ったようにアルバム「Jealousy」を聴き続ける日々。

この時から完全にXの虜になってしまいました。

当時の私は狂信的という言葉がしっくり来る状態だったと思います。

さて、時は流れて私は中学3年生になりました。

小6でXに目覚めて3年が経ったわけですが、

私のX愛は冷めるどころか、

ますますエスカレートしており、

完全なるX至上主義者となっておりました。

CDだけでは飽きたらず、ビデオも買い揃え、

部屋にはXのポスターやらカレンダーが飾られておりました。

我が家は、1階が仕事場で2階が居住スペースという造りになっていて、

両親は基本的に1階で仕事をしているので、

2階は自由空間だったんです。

マジでほぼ毎日Xのビデオを見てましたよ。

学校から帰ったらX!

そんな私が、HIDEに憧れてギターに手を出してしまうのは

当然の流れであったと言えます!

直接のきっかけが何だったのかは覚えてませんが、

激流に翻弄されるように、

私は銀座の山野楽器に赴き、

ウォーロックと呼ばれる形のギターを買っていました。

正直、何の知識も無い状態で買ったもんだから、

初心者が一番手を出してはいけないギターを買ってしまっていました。

ブリッジが、フロイドローズだったんです!

分からない人には本当に分からないと思いますが、

チューニングや弦の張替えが非常に厄介なんです。

素人が最初に買って良いギターじゃないんです。

チューナーを使って頑張ってチューニングしてましたが、

今思い返してみると、結構適当なチューニングをしてた気がします。

当時の私は、音楽は好きでしたが、本気で勉強をしていたわけではなく、

基礎も何もできていない状態だったので、

正しい音が出てるかどうかなんて分からなかったですし、

それ以前に、音程ってものを気にもしてませんでした。

エレキギターをちょっとかじった方なら分かると思うのですが、

エレキギターの楽譜って、TAB譜と呼ばれる特殊な楽譜で

書かれてるものが多いんですよね。

「どの弦の何フレット目を押さえるか」が

線と数字で表記されてるんです。

なので、いわゆる五線譜が読めない人でも

簡単に読むことができる画期的(マジで)な作りになっていて、

初心者も安心です。

このTAB譜、初心者が手軽にギターを始められるという点では

非常に便利なのですが、

TAB譜に頼りっきりで弾いていると、

自分が何の音を出しているのかも分からずに

弾き続けることになるという欠点もあります。

当時の私はまさにその罠にはまっていて、

盲目的にTAB譜に書いてあるところを押さえて弾くことが全てで、

音や響きが合ってるかなんて、あまり気にしてなかったと思います。

もちろん、音が半音くらいずれてたらさすがに分かったでしょうけど。

そんな私は、別にバンドをやるつもりでもなく、

ただただXの曲が弾きたくてギターを買ったわけですが、

中学生くらいになると、やっぱりクラスの中に数人は

バンド小僧みたいな奴らが出てくるもので、

「○組の○○がベースやってるらしいぜ」といった噂が伝わり、

楽器をやっている者同士は運命の出会いを果たすのです。

とりあえずもう一人のギターとベースは見つかりました。

しかし、Xのドラムとあのボーカルをこなせる中学生なんて、

そうそう同級生に居るわけもありません。

とりあえず聖飢魔IIファンの友だちに無理矢理ボーカルを

やらせることにして、無理矢理Xのコピーバンドを結成したのです。

ドラムは居なくても何とかなるでしょ!みたいなノリでw

今考えると信じられない。

そしてHIDEに憧れたからにはこんなギターも買っちゃうわけですよ。

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ちなみに、このギターは今だに家にあります。

中高一貫の学校に通っていたので、

中学時代に組んだバンドはそのまま高校に継承され、

高校1年の時の文化祭でLIVEとかやっちゃうわけですよ。

ドラム無しでw

いや、何回でも言いますけど、

今考えると信じられない!

バンド組んでドラム無しでLIVEするとか狂気の沙汰ですよ。

若いって怖いですよね。

LIVEは無事(?)終わり、翌年の文化祭LIVEに向けて練習を開始した際、

スタジオに入り、遊びでドラムを叩いてみたところ、

「やっぱりドラムがあった方が合わせやすいよねー」

という、至極当たり前な意見が出まして、

私「じゃあ俺ドラムやるわ」

と、ここで突然のドラム転向。

ドラムって、基本的にはスタジオでしか実際の楽器には触れないので、

家やら学校やらで、机を手で叩いたりして練習を重ねておりました。

そんな感じで高2のLIVEでドラマーデビュー。

また話は脱線するんですが、

確かこの頃にセガサターンでXのゲームが出たんです。

ゲームとしてのクオリティはマジでしょうもないんですが、

Xの各メンバーの楽屋にお邪魔できたり、

ちょっと話が出来たり、Rusty Nailの動画を編集出来たりと、

Xファンにはたまらない内容になっていました。

これぞファングッズの鑑と言えるでしょう。

このゲームも結構な頻度で何回もプレイしてましたよ。

ゲーム内には、本物のスタッフ(Xのスタッフなのかな)も

出演しており、東京ドームLIVEに行った際に、

ゲームで見た警備員(鬼のセキュリティA)のおっちゃんを見つけて

嬉しくなったりしていました。

この数年後、私が就職した際の初上司が、

このゲームの製作者の一人でびっくり、なんてイベントもありました。

話を戻して、高3くらいになってくると、

「ハイスタやりたい」とか言い出す輩も出てきて、

そしてドラムやってる奴なんて自分しか居なかったりで、

色んなバンドからお呼びがかかりました。

でもわたくし、X至上主義者でしたのでそれはそれは揉めましたw

「やだ!そんな曲叩きたくない!」

って、揉めたっていうかただのわがままですね。

でも結局ハイスタもやり、

後輩に頼まれて何だか色んな洋楽もやったりしました。

一つ断っておきますが、

ドラムが上手かったわけでもなんでもないので、

ちゃんと叩けてたわけじゃありません。

ただ、LIVEのノリでごまかせる程度のことがギリギリ出来てたくらいです。

そんなこんなして高3になった1997年、

なんとXが解散するって言うじゃないですか!

Xの解散を聞いた時、自分がどんな心境だったのかは

正直覚えてないんですが、

ショックは受けたものの、

絶望するほどのものではなかったんだと思います。

恐らくですが、私が中学生になって以降は、

新曲もそんなに出ないし、1年に1回だけ年末LIVEがあるだけだったので、

Xというバンドが存続するかどうかは

あまり重要じゃなかったのかも知れません。

過去の名曲達が有れば一生生きていけると

思ってたのかも知れません。

だって、もうこの時点で、小6から数えて6年間、

ほぼ毎日同じ曲を聴いて生きてきたんですもの。

通学中にも聴いてるし、家に帰ってからも聴いてるし、

カラオケでも歌っちゃうしみたいな。

その年の年末はもちろん東京ドームLIVEですよ。

アリーナ席の結構前の方だったので、

紅の時に飛び出す銀テープをまんまと頂いて帰ってきました。

多分このお宝達は、まだ実家のどこかに眠っています。

もうパリパリになってるかも知れませんがw

そして、LIVEから帰ってきたら、

ビデオに録画しておいた紅白歌合戦

Xの出演シーンを見るのです。

解散LIVE後の、紅白です。

恐らくこれがXの最後の勇姿なのです。

司会の中居(SMAP)が、

「解散となると、寂しいという気持ちが強いんじゃないですか?」

(うろ覚え)

的な言葉をYOSHIKIに言った時に

何とも言えない違和感が有ったんですが、

横で見ていた兄が

「中居にこんな事言われたくないわな」

と言っていたのを聞いて、

何だか納得したのを覚えています。

時は流れ、私も無事大学に入学しました。

大学に入って比較的すぐに私はPCを買いました。

HDDが3GBしか無いPCでした。

ご多分に漏れず、インターネットってやつを始めるわけですが、

当時、「HIDEにメールを出すと、ちゃんと返事が来る」という噂があり、

よーし俺もHIDEにメール送っちゃうぞー等と思っていた矢先の5月の頭。

私が大学で講義を受けていたら携帯に友人から電話が。

とりあえず講義が終わるまでやり過ごし、

講義が終わってからかけ直してみると

友「○○が死んだ」

私「え?」

友「○○が死んだんだよ」

私「え?何の話?」

この○○の部分が聞き取れなくて、

一体こいつは何を言ってるんだろうと思ってました。

この当時、こいつに初代バイオハザードを貸していたので、

バイオの登場人物でも死んのかなと思って聞いていたんですが、

どうも記憶に合致する名前ではないっぽいのです。

友「だから○○が死んだんだよ」

私「ん?何?誰?」

このやりとりを10回くらい繰り返した後に

友「XのHIDEが死んだんだよ」

私「……え!?」

と、現実を理解するのに大分遠回りしました。

もしかしたら私の潜在意識が、

現実の受け入れを拒否していたのでしょうか。

これはショックでした。

とりあえず速攻で家に帰り、食い入るようにニュースを見て過ごしました。

話を音楽に戻します。

そんな事件もあったものの、

私は軽音サークル的なものに入りました。

ここでもXバンドを組み、何を考えたのか、

私はボーカルを務めました。

そして、LIVEの録画映像を見て自分の歌の酷さに絶望し、

それがきっかけだったのかは覚えてないんですが、

軽音部をフェイドアウトしていきました。

っていうか、ウルティマオンラインとかいうゲームに

手を出してしまったせいもあり、

大学自体にあまり行かなくなりました。

そんな私の家には電子ピアノがあったのですが、

ある日、私が遊びでポロンポロン弾いていると

母「どうせ弾くなら、ちゃんと習いに行ったら?」

とピアノ教室を勧めてくるではありませんか。

知り合いにピアノ教室を開いている先生が居らっしゃるとのことで、

大学生にして私はピアノ教室に通い始めることになったのです。

当時の私は、

楽器演奏をゲームやスポーツと同じ感覚で

捉えていたと思います。

楽譜に書かれている音を、

いかに正確に弾くことができるかというゲーム。

当時、ビートマニアとか流行ってたしね!

なので、ハノンとか大好きでしたw

ああいう分かりやすい反復練習は大好きです。

いかに両手のタイミングをずらさずに、

正確に速く弾けるかトライアルですよね。

目標が分かりやすいので、

テンションも上がりやすいのです。

反復練習と行っても、毎回同じことの繰り返しではなく、

弾く度に少しずつ上達していくのが分かるので

飽きにくいんです。

そんなハノンは大好きでしたが、

ツェルニーはちょっと嫌いでした。

曲として面白味が無いものが多かったですし、

面白味で言ったらハノンの方が無いだろうという

反論が聞こえてきそうですが、

ツェルニーは下手に曲になってるせいで

燃えないんですよねw

ゲーム性が損なわれている!

こうなってくると何のために楽器弾いてるのか

分からないんですが、当時の私はこうだったんですよ。

曲を弾くことよりも、指を動かすことに

重点が置かれていたんだと思います。

もちろんレッスンでも

「両手のバランス」「メロディ・フレーズの弾き方」「表現」

みたいなところを何回も指摘されました。

色々指摘をされては修正をしていたんですが、

すごく表面的なことしか理解できてなかったと思います。

この頃になると、まだXは聴いていたものの、

少しずつ聴く音楽が変わってきました。

色んなピアノ曲を聴くようになったり、

またドラクエを聴くようになったり。

もちろんピアノでもドラクエ弾いてました。

Xも弾いてましたよ。

とりあえず指は動いたもんだから、

身の程もわきまえずに

「幻想即興曲弾きたい!」とか

「革命弾きたい!」とか

言い出して先生を困らせたものです。

こういうことを言って先生を困らせるのは

今も変わってませんがw

ピアノの先生も、生徒がやりたいと言った曲は

極力やらせてくれる先生だったので、

発表会で幻想即興曲弾かせてくれたりしました。

本番は散々だった記憶しかありませんが。

ちなみにこの教室では、

発表会の際に

・クラッシック1曲

・好きな曲1曲(ポップスでも何でも可)

という2曲を弾くルールになってまして、

好きな曲のコーナーでは、

Xの「Unfinished」を弾いたり、

スターソルジャーを弾いたり、

好き勝手やらせてもらいました。

そして時を同じくして、

作曲にも興味を持ち出し、

楽典やら和声学やら対位法やらの本を買って、

PCで曲を作るようになったりもしました。

この頃は時間があったので

(全然学校に行ってなかったからね!)

そりゃあもう1日数時間ピアノ弾いてる日も

ざらにありました。

多分この頃が、人生で一番楽器を弾いていた時期です。

でも相変わらず初見は出来ないんですけどw

そしてまたまた完全に余談ですが、

私、本当に単位を取るための最低限しか

大学に行ってなかったんですよ。

大学2年の終わりだか、3年の始めだかに

ちょっと学校に顔を出してみると、

何だか同期達がスーツを着ているじゃないですか。

彼らの話を盗み聞きしていると

「今日、ゼミの面接なんだよね」

なんて言ってます。

私、マジで大学に来てなかったし、

大学に友だちなんて居ない悲しい状態だったので、

ゼミ?ゼミって何?

状態でした。

っていうか、今もゼミが何なのかは分かってません。

別に関わらなくても卒業できたのできっと不要なものです。

そんな私も大学を無事卒業できることになり、

就職すると見せかけて、

音楽の専門学校に通います。

作曲科で。

この時に色んな友人と出会いました。

自分よりも本格的にDTMをやっている奴、

自分よりも圧倒的にギター、ピアノ、ドラムが上手い奴、

既にバンドを組んで活動している奴、等等。

彼らとの出会いは刺激的でした。

そして、恥ずかしながらこの時に、

自分の井の中の蛙ぶりを思い知った気がします。

ある日、専門の友人たちと話していた時のこと、

某友人が

「俺ヴァイオリン持ってるよ。

 高校時代にちょっとやってたんだけど、もうやめちゃった。

 全然弾けないw」

と言い出しました。

学校には、生徒が無料で使える音楽スタジオがあったので、

「じゃあ今度持ってきてよ。スタジオでみんなで弾いてみようぜ!

 やっぱり最初は、しずかちゃんみたいになるのかなw」

なんてやりとりがあり、数日後にそれは実現しました。

試しに弾いてみたら、弾けないのなんのって。

フレットレスの恐ろしさを身をもって知った瞬間でした。

いやぁ、これは無理だわぁということで、

ヴァイオリンはそれで終了。

そんな仲間たちと、濃い時間を過ごし、

音楽の勉強を続けていた私に、

一つの悩みが生まれました。

上述の通り、作曲の勉強を続けていたのですが、

自分が作った曲に対して

「この曲を、胸を張って自分の曲だと言えるのか?」

という疑問が付き纏うようになったのです。

現在巷に溢れている調性音楽(で合ってるかな)と

呼ばれる音楽には、ある程度のルールがあります。

長調短調と言った調があり、

それに合う形で和声(コード)を組み合わせ、

その和声がトニックやドミナントという役割を持ち、

全体として曲になっていく、みたいな感じですね。

このルールに則って曲を作る以上、

あんまり自由奔放に音を並べるわけにもいきません。

いや、奔放にやることは出来ても、

それをすると結局は素っ頓狂なものが出来上がるだけで、

それなりに良いと思えるものを作ろうとすると、

やはりルールに則らざるを得ません。

そして恐らくですが、

作ってみて自分で良いと思えるメロディーやコード進行ってのは、

過去に自分が聴いて良いと思った曲に

似ていることがほとんどです。

なので、結局のところ作曲という作業は、

過去に聴いた曲、良いと思った曲の

断片を掻き集めるような作業であると感じるようになりました。

そして、少しオリジナリティを出すために

メロディに半音を入れてみたり、

変わった和音を使ってみたり、

っていう小細工をしてる感じ。

そして、最終的に曲が出来上がった時に、

「これは本当に自分の曲と言えるのか?

 どこまでやると模倣(パクリ)で、どこからがオリジナルなのか?」

という疑問が付き纏うようになったという次第でございます。

これは、現代の作曲家さんを否定しているわけじゃなくて、

あくまで自分が曲を作っていた時の印象です。

何卒お許しを。

作曲という行為に迷いを感じ、

何だか自信も無くなった状態のまま時は過ぎ、

専門学校を卒業する日が来てしまいました。

安易に、音楽の仕事に就こうとか思っていましたが、

何だかそういう感じでもなくなってしまいました。

さて、どうしましょう。

どうやら、世の中的には

いい加減就職しないといけないらしいので

BEING(求人雑誌)を買ってきました。

やりたいことなんてよく分からなかったというか、

正直、働きたくなかったので

どの会社に行こうか悩んだんですが、

見開きで掲載されていた某会社に

履歴書を送ってみることにしました。

決め手は

「スーツを着なくても良さそう」

と思ったことくらいです。マジで。

会社に面接に来る新卒なんて

こんなもんだと私は今だに思ってるんですが、

新卒の皆さんに失礼かしら。

無事面接を受けられまして、

無事採用して頂きまして、

晴れて社会人となってしまいました。

ああ、嫌だ嫌だ。

働き出してからもピアノ教室は続けてまして、

毎週(だったかな)日曜日にレッスンに行ってました。

平日に練習ができていたのかは覚えてません。

この頃になってくると、

またギターを弾くようになりました。

ギターならヘッドホンにすれば深夜でも弾けるしね!

っていう理由だったのかは覚えてないんですが、

ポール・ギルバートの真似事をしてみたり、

ドラクエを弾いてみたり、

再度ギター熱が高まったのです。

日々ギターを弾いている中で、

段々とある不満を抱くようになりました。

不満だらけですみませんw

末っ子なもんで。

その不満とは、

ピッキングノイズがうるせえ!

ってことです。

低音弦をガリガリ弾いてる時には、

迫力が有って気持ち良いんですが、

高音弦でメロディーを弾く時に、

ピッキングする度に

ガリガリ

っと鳴るのが嫌だったんです。

一回気になりだすとどんどん気になるんですよ。

速弾きフレーズとかは良いんですが、

長くて綺麗なフレーズを弾きたい時にはもう

いやーーー!もうこんな生活耐えられない!

もっと、メロディーを美しく滑らかに弾ける楽器は無いのか!?

と発狂しそうな時に、ふと

「ああ、そういえばヴァイオリンとかいう楽器は

 美しく滑らかに弾けそうだなぁ」

と思ったんです。

私はすぐさま専門時代の友人に連絡を取り、

ヴァイオリンを貸してもらうことにしました。

本人ももう全然弾いてないからってんで、

快諾してくれました。

これが、働き出した翌年の2月、

つまり2005年2月のことです。

友人からヴァイオリンを借りてきた私は

「独学で弾けるようになってやるぜ!」

と自信満々でしたが、

3日程練習してみた結果、

「これ独学じゃ無理だわ」

と悟りを開きました。

私は早速文明の利器を使って、

ヴァイオリン教室の検索をしました。

検索結果の海の中から、

なぜか私が何の迷いもなく選んだのが

ユリカバイオリンスクールでした。

早速メールで申込をし、

第1回のレッスンをして頂いたのが

2005年2月25日でした。

そのまま私は10年間、

ユリカバイオリンスクールにお世話になっています。

10年が経ってみて、

改めて私は、この教室を選んで良かったなと思っています。

この教室では、楽器の弾き方だけでなく、

音楽そのものを教えてもらえます。

演奏行為が、楽譜をなぞるゲームだった私ですが、

先生の様々なご指摘により、

多少は演奏らしい演奏ができるようになってきました。

昔より色んなことを考えて弾くようになった結果、

音楽を聴く時にも、今までとは違う意識で聴くようになりました。

今までに何回も聴いた曲でも、

意識の使い方一つで、新発見が山のようにありました。

大袈裟な言い方ですが、

新しい世界が見えたようで

ちょっとした衝撃でした。

30歳を過ぎてからこんな体験ができたことに

軽く感動したものです。

むしろ、今までが無頓着過ぎたのかも知れませんね。

こんな浮気症な私がこの楽器を10年続けられたのも、

先生や教室の生徒さん、

そして様々なアマオケでお世話になった

皆様のお陰であることは疑う余地も無いのです。

本当にありがとうございます。

これからも皆様のお世話になりつつ、

一生ヴァイオリンを弾き続けられたら良いなと思ってます。

ヴァイオリン10年を振り返るつもりだったのに、

ヴァイオリンを弾き始めてからのエピソードが

ほとんど無い体たらくですが、

もう充分長いので良いです。