よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

リンさん、逝く

久しぶりに更新したと思ったらこんな話題かよ!

って怒られそうですが、書きます。

2008年11月1日にリンさんを拾ってきた日から始まり、

リンさんとの想い出を散々このブログに書いてきたので、

最期についても書こうと思った次第です。

私が「時間が経っても忘れたくない」と思っている

ことを書こうと思ってます。

あまり悲しいことを書き連ねる気はないのですが、

内容的にはどうしても湿っぽくなってしまうかもしれません。

でも、普段の私のスタイルで行きますよ。

 

最初に書いておきますが、

楽しい気分のときに、こんなもん読んだら駄目ですよ。

ちょっとセンチな気分になりたい夜なんかに

お読みいただければと思います。

 

リンさんを拾ったときから

最期を看取る覚悟はしてきたつもりでしたし、

ペットが飼い主より先に死ぬのは当然っていうか、

飼い主が先に死んだら困るので、

ペットの死を看取るのはとても正しいことであるという理屈もあり、

「まあ、悲しいけど仕方ないよね」

くらいの気持ちで乗り切れると思ってたのですが、

とんでもない間違いでした。

いやぁ、びっくりしちゃった。

 

さて。

最初に、ここ最近のリンさんのことを振り返ります。

 

腎臓が弱かった

リンさんは元々、腎臓に少し問題がありました。

健康診断をすると、腎臓の数値がちょっとよくない

ってことが数年続いてました。

これは、リンさんが特殊だったわけではなく、

ネコは腎臓が弱い子が多いのです。

なので世のペットフードには「腎臓ケア」みたいなものが

たくさん売られているのです。

お医者さんからも、これは体質や遺伝によるところが大きいと

言われておりました。

実際、うちのネコ3匹はみんなほとんど同じものを食べてますが、

腎臓の数値に問題が出てるのはリンさんだけでしたから、

そういうことなのでしょう。

リンさんは食べる量が多くて、太ってたというのはありますが。

 

歯も抜いた

歳を取ってきたこともあり、

3年前くらいから歯茎が弱ってきてました。

歯槽膿漏ってやつですね。

歯茎が炎症を起こして、それが痛くて

餌を食べづらくなったりするのです。

で、今、手元ですぐ記録が出ないのですが、

2021年に一度抜歯をしました。

抜歯をすると歯茎の炎症も治まって、

また元気に食べられるようになるのです。

ネコは歯がなくても餌は食べられるとされています。

ネコの歯は、獲物を仕留めるためにあるのであり、

咀嚼するための歯ではないのです。

実際、リンさんも抜歯をしましたが普通に餌を食べられてました。

ただ、右上の牙を抜いたせいで、歯の収まりが悪くなってしまったようで

口を閉じた際に、

右下の牙が右上の唇(っていうのかしら)を押し上げてしまい、

少し変な顔をするようになることばしばしばありました。

そして、2024年1月にも抜歯をしました。

リンさん、どんどん歯がなくなっちゃう。

 

甲状腺亢進症

これが正確にいつから始まっていたのかはわからないのですが、

2019年の5月31日に発覚しました。

この日、リンさんがピンク色の液体を吐きまして、

こういうときは吐瀉物に血が混ざってる可能性が高いので、

すぐさま病院に連れて行ったのです。

血液検査の結果、「甲状腺亢進症」と診断されました。

で、おそらくなのですが、2020年3月12日のこのブログにて

書かれている下記内容。

最近は、私の上でふみふみをするようになりました。

これは、私の腹が膨れて、ふみふみに最適な柔らかさになったと

判断されたのではないかという疑念が膨らんでおります。

30秒くらい私の胸や腹をふみふみしたかと思うと、

くるりと向きを変え、私の下腹部をふみふみして

私の安眠を妨害してくるのです。 

ふみふみされることは別に嫌ではないですし、

むしろ「かわいいなぁ」「微笑ましいなぁ」とか

思っていたのですが、

おそらくこれも甲状腺亢進症の影響だったのだと思います。

なぜなら、後に、甲状腺亢進症が薬で抑えられて以降は

このふみふみが行われることはなかったからです。

 

今にして思えば、この頃からリンさんは少しずつ

行動が変わっていっていた気がします。

ただ、私は特に問題らしいには気づいてませんでした。

 

そして、リンさん、この頃は、

よく食べる割に痩せていってしまったんですよね。

この甲状腺亢進症ってやつは、

甲状腺ホルモンが過剰に分泌される病気で

下記のような症状が現れるそうです。

・食べてるのにやせる
・飲水量が増える
・落ち着きがなくなる
・攻撃的になる
・性格が変わる
・いらいらする
・毛艶が悪くなる
・暑がる
・目がぎらぎらしている
・呼吸がはやい
・下痢、軟便
・食欲、元気の低下

いくつかは当てはまるものがありました。

「やせる」というのもそうですし、

「毛艶が悪くなる」のもありました。

この時期に首周りの毛が茶色っぽくなってきて

「歳のせいなのかねぇ」

とか言ってたのですが、

これも病気のせいだったのかもしれません。

上記症状の中に、「幼児化する」「ふみふみするようになる」といったものは

ありませんが「性格が変わる」というのがそうなのかもしれません。

 

甲状腺亢進症」と診断されてからは、嫁が大変でした。

朝晩に1回ずつ錠剤を飲ませなければ行けないのですが、

大抵のネコは錠剤をあまり飲んでくれません。

無理やり口に放り込んで飲ませる方法もあるのですが、

なかなか上手くいかないことも多く、

嫁が試行錯誤をしました。

で、この辺りの時期から我が家でちゅ~るを常備するようになりました。

リンさんはちゅ~るが大好きで、っていうか

大抵のネコはちゅ~る大好きですよね。

リンさんもよつばも、毎日毎日

「ちゅ~るちょうだいー!」

と騒ぐのが日課になりました。

ただ、ちよだけはちゅ~るが嫌いで

匂いを嗅がせても

「要らん!」

って感じで、ぷいっと顔を背けて部屋に隅に行ってしまいます。

そして、リンさんとよつばが夢中でちゅ~るを食べる様を、

ちよはつまらなそうな顔でじとーっと見ているのです。

すごく話が逸れましたが、

そんなリンさんの大好きなちゅ~るで錠剤をコーティングすると、

ちゅ~るに夢中のリンさんは、錠剤に気付かずに食べてしまうのです。

ちゅ~るって偉大。

ただ、この薬の量も加減が難しいみたいで、

病院で検査をしては

「今度は、甲状腺の機能が低下しすぎですね。
 薬を減らしましょう」

と言われて、今まで1回1/4錠あげてた錠剤を、

1回1/6錠くらいに細かく砕いてあげるようになりました。

そして、少し時間が経つと、

リンさんがちゅ~るの中の錠剤を異物として認識するようになり、

薬だけ吐き出したりするようになってしまいます。

ここから、嫁とリンさんの知恵比べ延々続きました。

コーティングの仕方を工夫したり、

薬を口に入れた瞬間にちゅ~るをいっぱい押し出して、

リンさんが錠剤に気づきながらも飲み込んでしまう状況を作ったり。

嫁は、毎日朝晩これをするようになり、

だいぶ時間を取られるようになりました。

この、ちゅ~るでリンさんに薬を飲ませないといけない

って話が後で効いてきますんで覚えておいてください。

 

2022年10月28日(金)

少し余談ですが、この日は夕方にリンさんを動物病院へ

連れて行く予定がありました。

この時期はまだコロナの影響で

私も嫁も在宅ワークをしておりました。

そして、嫁が18時くらいに仕事を早上がりして連れて行く算段でした。

ネコを飼ってる人あるあるだと思うのですが、

ネコを病院に連れて行こうとしてるときって、

ネコ側もなんとなく察知して逃げたり隠れたりするんですよね。

キャリーを準備したり、人間が着替えたりしだすと

「はっ! 病院か!?」と思うみたいです。

 

で、この日は少し小細工をして、

嫁が着替えてキャリーを準備しつつ、

部屋着のままの私が油断させて、リンさんを捕まえて、

玄関に置いてあるキャリーのところまで運ぶという

一大作戦を行ったのです。

結果が、まさかの大惨事で、

私がリンさんを捕まえたまでは良かったのですが、

リンさんを抱っこして玄関に準備してあるキャリーのところまで

運んでいたら、なんだか私の胸元からお腹が温かくなったのです。

「おや?」

と思って視線を落とすと、リンさんが盛大にオシッコを

漏らしてしまって私の服はオシッコでずぶ濡れになったのです。

そして、勢いを増したオシッコは弧を描いて

空中に放たれ、玄関に置いてあった段ボールやら

床やらもオシッコまみれになるという、

これを大惨事と言わずしてなんと言おうか!

という事態になりました。

 

大惨事の跡

拭くのに使われたタオルと、私の部屋着です。

ちなみに私は仕事を早上がりはしておらず、

リンさんをキャリーに入れたらすぐ仕事に戻る予定だったのですが、

全身オシッコまみれのまま仕事に戻ることもできず、

職場に

「ちょっとしたアクシデントがあり、少しだけ離席します」

というあやふやな言い訳をして、

マッハでシャワーを浴びて着替えました。

 

ちなみに、なんでリンさんが今日に限って漏らしたのか?

という疑問について、私と嫁の間で議論が交わされた結果

一旦次のような結論で落ち着きました。

・リンさんは私のことを信頼し切ってる

・私はリンさんを病院に連れていくことがあまりなく
 基本的にはなでたりして甘やかすだけなので
 私にひどいことをされないと思ってる

・そんな私が、急に捕まえて
 キャリーのほうに連れていくから
 リンさんはとんでもないショックと恐怖を感じた

 

みたいな感じです。

ちなみに、この後にもう一度、

私がリンさんを抱っこして玄関のキャリーに連れていく

機会があったのですが、そのときにも漏らされたので、

もう私が病院に連れていくのはやめました。

もはや確率100%。

 

いつの頃からなのか不明なのですが、

リンさん、実は音がほとんど聴こえてないっぽいことが判明しました。

気づいたのは2024年の頭くらいだったと思います。

呼んでも反応しないし、耳がこちらを向かないのです。

ネコって、向こうを向いてても、

耳だけはこちらに向けて音を聴いてたりするじゃないですか。

ああいうのがないんです。

ただ、完全に聴こえてないわけではなく、

大きな音や、高い音なんかは少し聴こえてたようです。

チッチッチって、舌打ちみたいな音を出すと

反応するのは確認できてました。

これも歳のせいなのかもしれませんが、

「リンさん」って呼びかけが聴こえてないっぽいのは

少しさみしいなぁと感じるようになりました。

 

そして、日付は一気に最近に飛びます。

2024年2月

このあたりから、リンさんに少し異変が出始めました。

 

2月15日(木)

ちゅ~る大好きリンさんが、

この日から食べ方がおかしくなりました。

食べはするのですが、なんだか不快そうに

口をハグハグと開閉したり、顔を振ったりして、

美味しそうに食べてくれないのです。

 

2月16日(金)

この日もリンさんは大好きなちゅ~るをあまり食べませんでした。

見ている限り、口が痛いように見えるので

嫁と二人で

「また歯槽膿漏で歯茎が痛いのかねぇ」

なんて話してました。

嫁は、食欲がない可能性も疑っていたようです。

 

2月17日(土)

リンさんの様子がおかしいので、病院へ連れていくことにしました。

この日は、嫁が弟さんと会って大事な話をするために

出かける用事があったので、私がソロでリンさんを連れていくことに。

上述の、私が連れて行こうとしてオシッコを漏らされた

2回目がこの日でした。(笑)

 

診断メモ

・心音等は異常なし
・うんちおしっこは出てる?
 →多頭飼いしてるのもあって正直分からない
  ただ、連れてくるときに玄関でおしっこはぶちまけた
・触った感じ、たしかにお腹にご飯は入ってなさそう
 (あまり餌を食べられてないという意)
・右奥歯(多分上)が赤く腫れてる
 根本治療はやっぱり抜歯になると思う
 でも歳も行ってるんで連続で麻酔はリスクある
・今回は対症療法として抗生物質の注射打つ
 腫れを引かせたり、炎症を治めるもの
 効果は2週間 なので3/2(土)くらいまでもつはず
 早ければ数時間後から効き出す
 一番効き出すのは12時間後くらい
・これで今日の夕方や明日の朝から食べられるようになれば良い
 全然効かないようなら再受診
 歯茎じゃない部分に原因がある可能性もあるので精密検査が必要かも

 

とのこと。

ちなみに、この日診てくれたのは院長先生ではありませんでした。

やっぱり院長先生が一番腕が確かな感じがするので、

院長先生がいらっしゃるときは指名をさせてもらってるのですが、

この日はご不在でした。

 

病院で歯茎への処置をしてもらい帰宅。

どう見ても口が痛い感じだし、

歯茎じゃないところに原因があるとは思えないけどなぁ

なんて思ってました。

 

2月19日(月)

2日前に歯茎への処置をしてもらったものの、

その後もリンさんが餌を食べず。

再度病院に連れていくことに。

この日は嫁が連れていきました。

私が連れていくと漏らすから!

 

診断メモ

・歯茎の経過は良好だと思う

・体重が前回より200g減

・血液検査の結果、腎臓の数値が急激に悪化してる

・腎臓がちゃんと濾過できてなくて、
 毒素が身体に回ってしまってるから
 気持ち悪くて餌を食べられないのだと思う

 

ということで、原因は歯茎ではありませんでした。

私の素人判断の愚かさを思い知らされました。

このあたりから嫁が、毎日病院にリンさんを

連れていく生活が始まりました。

毎日点滴を打たないと、尿毒が排出されず

リンさんが弱ってしまうためです。

私、完全には把握できてないのですが、

・腎臓が濾過できてない

・点滴で皮下に輸液をして、液を皮下に溜める

・液が徐々に吸収され、毒素を伴って排出される

みたいな理屈だったと思います。

 

病院に連れていくのは基本的に嫁頼りでした。

私が連れていくと漏らすこともあり、

また、ふたりして仕事を抜けるにもいかんよなってのもあり、

頻繁に嫁が早上がりをしたりして頑張ってくれました。

嫁は、毎日リンさんを病院に連れていくもんだから、

リンさんは嫁を見ると「また病院か!?」と

少し警戒するようになってしまい、

リンさんのために毎日頑張ってるのに

精神的に報われない状況。

献身的に世話をしてくれた嫁には感謝の言葉しかありません。

 

2月24日(土)

嫁がリンさんを病院に連れて行った際に、

病院で「エネルギーちゅ~る」なるものを購入。

普通のちゅ~るよりもハイカロリーで、

腎臓にもいいとのことで、

今のリンさんにうってつけ。

リンさんにあげたところ、結構食べてくれたので

これはいいかもということで、通販で箱買いしました。

が、食べてくれたのは最初の数本で、

リンさんはこれもすぐ食べなくなってしまいました。

 

自宅での点滴開始

2月29日(木)

この日から、家でリンさんに点滴をする生活が始まりました。

毎日病院連れていくのもしんどいよねってことで、

自宅で点滴できるようにしようという作戦です。

嫁が、病院でしっかり点滴のレクチャーを受けてきまして、

医者の合格をもらってきました。

 

家に点滴スタンドも買いました。

右に写ってるのはよつばです(笑)

 

点滴バッグの重さを見るはかり。

このはかりの動きを見て、

何ml輸液できたのかを確認します。

 

せっかくなので、点滴の手順を詳しめに書いてみます。

そのために点滴関連の名称図。一部載ってないものもありますが。

 

・輸液バッグ(ソルラクト)をレンジで軽く温める
 ・冷えた液を注入すると身体が冷えちゃうし不快感も強いので
 ・レンジで温める間、びん針(パック側に刺す針部分)を私が保持
  机などに置くと雑菌が付くため

・温まった輸液バッグを加圧バッグに入れてはかりにセット
 (はかりは点滴スタンドから提げられている)

・初回のみ、クレンメ(液の流す&止めるを制御する装置)を上げて液を流し
 点滴筒の所定位置まで液を溜めたらクレンメを下げて液を止める

・その日使う翼状針をコネクタにセット
 (衛生のため、翼状針は毎日取り替える)

・クレンメを上げて液を流し、チューブ内の空気を抜く

・クレンメを下げて液を止める

・加圧ポンプをシュコシュコして点滴パックを少し加圧する

・リンさんの肩甲骨の間より少しお尻側あたりをアルコール綿で消毒

・消毒した場所に斜め45度ぐらいで針を刺す

・クレンメを上げて輸液開始

・さらに加圧をして、輸液を少し早める

・所定の量(当初は120ml)が輸液されたことを確認したら
 クレンメを下げて輸液ストップ

・アルコール綿で抑えながらリンさんから針を抜く

・アルコール綿で、針を抜いた場所を軽く押さえる

・リンさん解放

という感じです。

 

点滴の際には、リンさんをキャリーに乗せてから、

逃げないように私がホールド。

嫁が、上記一連の手順をこなして点滴をするという役割分担。

嫁「リンさんに針を刺すのが本当に嫌」

と言って、震えながらやってました。

嫁にも相当なストレスだったと思います。

そして、当のリンさんは、針を刺される瞬間は

あまり反応がないことが多く、痛みはそんなに感じてないっぽいです。

どちらかというと、輸液を開始されると、

身体に何かが入ってくる不快感があるのか

すごく嫌がります。

逃げようと身体を捩ったり、

「ふぅぅぅ(↗️)うううううう(↘️)」

と唸ったりしました。

でも、決して暴れまわったり、

私を噛んだり引っ掻いたりすることはありませんでした。

 

点滴が終わると

「嫌なことされたー!」

って感じで逃げるのですが、

すぐに機嫌を直して、

私の隣の椅子に上がるのです。

これは実際に2月29日(木)の点滴後のリンさん。

ここから「なでてー」攻撃が始まります。

点滴初日終了。

 

2024年3月

毎日、上述の点滴を繰り返す日々でした。

嫁は何回やっても、リンさんに針を刺すという行為に

慣れることはなく、毎回深呼吸しながら心を落ち着けるよう努めつつ、

震えながら針を刺してました。

この点滴は、お互い(リンさんと我々)にとって結構負担だったと思います。

私たちも、リンさんのためとはいえリンさんが嫌がることを

しなければいけない、しかもそれが毎日というのは

やはりストレスではありました。

点滴をしてる時間自体は準備含めても10分程度ってところだと思いますが、

精神的には1時間くらいやってるような感覚で、

毎回終わるとぐったりしました。

 

毎日点滴をしている中で、

リンさんがすごく痛がってそうなので中止したり、

翼状針が抜けてしまったことが1度だけあったりと、

上手くいかない日もありました。

途中から、点滴はキャリーではなくて、

リンさんお気に入りの椅子の上でやるようになりました。

そっちのほうが私もホールドしやすかったためです。

 

毎週2回は嫁がリンさんを病院に連れていって、

腎臓の数値の変化を確認。

それ以外にも、点滴パックや替えの針をもらいに行ったり、

自宅での点滴が開始された後も、嫁は頻繁に病院に通っておりました。

 

この辺からは、あまり日付を正確に覚えてないのですが、

大まかに書いていきます。

時系列に多少矛盾があってもご容赦ください。

 

3月1週目

点滴の甲斐があり、少し回復をしたと思います。

多少ちゅ~る食べてくれるようになりました。

が、一本は食べきれなかったり、

調子が良いという状態まではいきませんでした。

この辺で問題になってきたのが、

上述した、「甲状腺亢進症の錠剤をちゅ~るであげる作戦」です。

リンさんは、以前のようにがつがつちゅ~るを食べるわけでは

なくなってしまったので、薬に気づきやすくなってしまい、

薬を飲まなくなってきてしまったのです。

嫁がどうにか飲ませようと頑張るのですが、

それをやっていると、リンさんが

「もう、ちゅ~る自体イヤだー」

みたいな感じで部屋の隅に逃げてしまうのです。

 

私達は段々と実力行使に出るようになり、

リンさんを捕まえて、口を開けさせて薬を放り込む

初歩的な方法に回帰しました。

昔はそれで薬を飲ませることもできたのですが、

リンさんが薬を吐き出すのが上手くなってしまって、

なかなか上手くいかないことも多く、困りました。

 

そして嫁は、錠剤をすりつぶして粉にして(そういうアイテムがある)

ちゅ~るにその粉を混ぜる作戦に出ました。

何回かはそれで薬を食べてくれました。

 

ちゅ~るを多少食べられるようになったので、

点滴後にはご褒美のちゅ~るをあげるというルーチンにしました。

ちゅ~るがあまり腎臓に良くないかもってのは二の次で、

とにかく食べさせることを優先したのです。

お医者さんからも

「食べないとあっという間に衰弱してしまうので、
 とにかく食べさせてください」

と言われておりました。

 

この頃には、病院から

「これで無理矢理にでも餌を喉に流し込んでください」

とシリンジを渡されました。

とにかく栄養を摂ることが重要だということです。

が、このシリンジもとにかくリンさんが嫌がる。

私たちのやり方が下手だっただけかもしれませんが、

餌を流し込もうにも、リンさんが顔を振りまくり、

流し込んだあとも顔を振りまくって撒き散らしてしまい

あまり上手くいきませんでした。

 

3月1日(月)のリンさん

やはり、定位置である私の隣の椅子で寝て、

気持ちよさそうになでられています。

「気持ちいい」

って、目を細める顔がラブリー。

この顔が大好きです。

 

3月2週目

部屋の隅の物陰に行きがちになり、

少し調子が悪そうになりました。

なでられるのも嫌がる感じで、

あまり人目に触れない場所に行きたがるので、

「ああ、これはそろそろかな」

と思いました。

ネコって、死にそうになると

人目につかないところに行きたがりますよね。

 

3月8日(金)のリンさん

ここはまだ物陰ではないですが、

こういった部屋の隅っこに行くことが多くなりました。

近づいてなでると、さらに奥に引っ込んじゃうのです。

 

この辺りで、リンさんは病院の検査の結果、

貧血気味にもなってるという診断。

毎日点滴してるせいで血が薄まっちゃうんですって。

なので、貧血が進むようなら、

それ用の注射もしなきゃいけないと言われ、

結構ぼろぼろな状態でした。

 

3月3週目(3月18日~くらいかしら)

調子は悪そうで、ちゅ~るも少し食べるという程度。

こうなってくると、甲状腺亢進症の薬を摂らせるのが本当に大変で、

薬を混ぜていなくてもちゅ~る自体をなかなか食べないという

状態になってしまい、薬を規定量食べさせるのが難しくなってきました。

ちなみにリンさんはこういう状態であっても、

とりあえず嫁を見ると

ちゅ~るをせがみはするんです。

ちゅ~るが美味しいものだというのは刷り込まれていて、

食べたい気持ちはあるんでしょう。

でも、いざ目の前に出されても、

気持ち悪くて食べられないという感じだったんだと思います。

悲しい。

 

ただ、この頃から物陰に行く頻度は減って、

私がリビングに入ったのを察知すると

すぐに定位置である私の隣の椅子に乗って

「なでてー」

とアピールしてくるようになりました。

いつものリンさんに戻った感じがして、

少しだけ回復したのかなと思いました。

 

でも、ペットって死ぬ間際に急に甘えるようになる

って話ありますよね。

今思えば、これがそうだったのかもしれません。

とにかく、定位置である椅子に上る頻度が半端じゃなかったんです。

時間があるときはなでてましたが、

仕事中に水を飲みにリビングに来ただけ、みたいなタイミングでも

どこかから出てきて、椅子に上り

「フーン(なでてー)」

と鳴くので

私「リンさん、またか! でも元気になったな!」

と少しおどけながら、すぐに部屋を出て行ってしまうこともありました。

さらに、当時(今も)私、左肩が痛くて、

これを治すために筋トレ部屋で長時間セルフケアをしてまして、

「フーン(なでてー)」

と鳴くリンさんを置いて、すぐに筋トレ部屋にこもってしまう

こともしばしば。

今思えば、もっとなでてあげればよかったとか思いますが、

しょうがないですよね。だって肩痛いと筋トレに支障があるんだもの!

 

3月24日(日)

嫁は仕事のためほぼ1日外出。

私がリンさんに、薬なしちゅ~るをとりあえずあげてみたところ、

半分くらい食べました。

私はすぐさまそれをチャットで嫁に報告。

しかし、この日、リンさんはそれ以降ちゅ~るを食べることはありませんでした。

 

3月25日(月)

月曜日なので、嫁が仕事を中抜けしてリンさんを連れて病院に行きました。

点滴はしているものの、腎臓の数値はあまりよくなっておらず、

さらに餌を食べないことが原因で肝臓の数値も悪化しているとのこと。

先生「多臓器不全になっている。ここから劇的に改善することはないので
   今すぐというわけではないと思うが、覚悟したほうがいい」

的なことを言われたとのこと。

特に腎臓は再生しないので回復することがなくて、

一度悪くなると基本的にはどうしようもないのです。

夜に嫁からこの話を聞き、

私もある程度の覚悟をしたつもりでした。

 

でも、その日の23時50分頃。

定位置の椅子で気持ちよさそうになでられております。

あ、久しぶりにひっくり返った。

この、頭をひっくり返してアゴを見せるポーズは、

リンさんがリラックスの最高潮に達するとよく見せるものでした。

体調が悪くなってからというもの、このポーズをすることはなかったのですが、

久しぶりにやってくれたので、嬉しくて動画を撮ってしまいました。

嫁にもすぐ動画を観せて

「リンさん、ちょっとよくなって来たのかもね」

と喜び合ったりしていたのですが、

先生からの言葉もあり、この日はちゅ~るも全然食べなくなっており

不安もありました。

この数日、ほとんど食べてない状態でした。

でも、なんとなくここからよくなってくれたらいいなぁと

少し楽観的な希望を持ってました。

 

翌日

3/26(火)

私は普通に朝から会社へ行きました。

嫁は、前々日の日曜に仕事をしたこともあり、

振休ということでお休みを取ってました。

 

10時37分

嫁から連絡

・リンさんが何回も泡を吐いた

・寝室の椅子の下で横になってて弱々しい声で鳴いてる

・かなりしんどそう

・これから病院に連れて行く

 

私は会社に着いた直後くらいのタイミングだったと思います。

私は、ちょっと調子悪くなっちゃったかな

くらいに考えてました。

あとまあ、仕事のことを考えたりしてて

リンさんに思考を全振りってわけにもいかなかったのかもしれません。

 

12時2分

嫁が病院から帰宅

・吐き気止めを注射してもらった

・帰ってきてからもリンさんはぐったりで
 キャリーから飛び降りる元気もなかった

・降ろしてあげても自力で歩けないくらいよろよろ

・寝室のベッドの上に連れて行って毛布をかけてあげた

 

その後、リンさんはベッドの隙間の

人目につきづらいところに退避。

 

このあたりからリンさんは、

身体の自由が利かなくなってきたようで、

目を見開いて瞳孔が開きっぱなしになり、

頭を持ち上げることができないらしく

常に顔は下を向いてる。

そんな状態のままよろよろと歩くといった状態だったそうで、

すごく苦しい状態だったんだと思います。

それをずっと見ていた嫁もすごくつらかったことでしょう。

普段の可愛らしいリンさんとのギャップが大きく、

嫁は少しショックを受けてしまった模様。

 

会社に行っていて、それを直接見ることのなかった私は

ある意味幸運だったと言えるのかもしれませんが、

飼い主として、その姿は見なければいけないものだと思うし、

ちゃんと見てやりたかったという思いがありました。

会社に行っていたことを後悔しましたが、

行かないわけにもいかないし、生活のバランスって難しいですよね。

 

16時頃

リンさんは、よたよたしながらも

寝床をあちこち移動。

寝室のキャットタワーの下のネコベッド。

ネコ部屋のケージの上のネコテント。

ネコハウス。

 

なにが起きたか不明ですが、

リンさんがテントから出る際に側面を破ってしまった模様。

床に落ちている、千切れた側面。

リンさん、一体なにをしたらこんなことが起きるんだ。

 

後から嫁に聞いたところによると

「リンさんは寝床を転々と移動していった。

 単純に落ち着ける場所を探してたのかもしれないけど、

 自分のお気に入りの場所を巡ってるように見えた。

 意地でも全部回ってやるっていう執念を感じたよ」 

とのことでした。

 

私は16時で会社を早退。

17時頃に帰宅。

私の帰宅直前に、リンさんは嫁のベッドの上で

オシッコをしてしまったとのこと。

嫁のベッドの上で横たわっていたリンさんが急に起き上がり、

どこかへ移動しようとしたものの、ろくに動けず、

そこでオシッコをしてしまったそうです。

おそらく、トイレに行きたくても行けず

そのまま出してしまったのでしょう。

私が帰宅した際には、リンさんは私のベッドの上で横になってました。

嫁が、リンさんをそちらに運んだのでした。

嫁のベッドはオシッコで濡れちゃったので。

 

私がリンさんを見たときも、目は見開かれていて

寝てるのかどうかはよく分かりませんでした。

「リンさん」

と呼びながらなでましたが、

声は聴こえてないんだろうし、

もしかしたら身体が痛くてなでられるのも苦痛かもしれない、

しんどくて寝てたいだろうからなでると起こすのも駄目かな、

とか考えてしまい、どうしてあげるのが良いのか分かりませんでした。

 

17時過ぎ

リンさんが細かい痙攣をするようになり、

結構やばそうなので、再度病院へ連れていくことに。

もうぐったりしていて、嫌がる元気もないはずが、

キャリーを準備し終えた嫁が

寝室のリンさんを連れて行こうとした際、

なにかを察知したのかよろよろと逃げたそうです。

もう耳も聴こえてないはずなのに、

なにをどう察知したのか。

 

病院に行き、院長先生に診てもらいました。

・尿毒症で、毒素が身体に回ってる

・毒で神経がやられているので身体の自由が利かない

・これからどんどん痙攣も激しくなる
 本人(リンさん)も結構苦しいと思う

・正直、治す方法はない

・一旦、鎮静剤で眠らせてあげて
 苦しみを和らげてあげることはできる

・入院させて、色々とケアをするのも方法の一つだけど、
 もうすでに家でも色々とやってもらってるので
 あまり効果は期待できない
・この場で、楽にして送り出してあげる選択肢もある
 (要は安楽死

と、色々提案されました。

 

ここで少し話は変わりますが、

実は私、子どもの頃に実家で飼ってたネコ(ミャウ)が死ぬ時に、

入院させていて、死に際に自分が居られなかったことを

死ぬほど後悔している過去があります。

「人生で一番後悔してることはなに?」と聞かれたら

迷わずこれを挙げるっていうくらいに引きずってます。

ミャウは、私が拾ってきて、私にだけ懐いていたネコでした。

病院に預けた翌朝、電話がかかってきて

「明け方に一回意識を取り戻して
 ちょっと立ち上がって歩いたんですが、駄目でした」

といった内容でした。

電話に出たのは母親だったので、私は直接は聞いてません。

明け方に意識を取り戻したミャウは、

絶対に私の姿を探してたと思ってます。

そこに私が居てあげられなかったことをめちゃくちゃ悔やみました。

最期の最期で信頼を裏切ってしまった思いがして。

さらに、病院という、本人からすれば馴染みのない

安らげない場所で死なせてしまったことも悔やみました。

なので、リンさんは絶対に同じ目に遭わせない、と

リンさんを拾ったときから誓っていたのです。

 

話を戻します。

なので、リンさんを入院させるという選択肢はありませんでした。

私のエゴと言われればそうなのですが、

今回の場合、入院することの意味もあまりないですし。

そして、病院で安楽死というのもなしです。

リンさんの定位置である、あの椅子で逝かせてやりたい。

そう思いました。

 

先生が色々と提案してくれたことに対して

「家で逝かせてやりたい」

という意思表示をしたかったものの、

私、自分でもびっくりするくらいに

感情が溢れていて、声を出したらそのまま

号泣していしまいそうで、全然返事をすることができませんでした。

いやぁ、申し訳ない。

 

少しの間、無言の時間が流れ

なにかを察した先生から新たな提案。

・自宅で薬を投与できるようにする

・鎮静剤と、発作(痙攣)を抑える薬、
 吐き気止めを数回分出す

・状況に応じてそれらの薬を投与する
 基本は鎮静剤で眠らせてあげて、
 痙攣がひどくなったら発作の薬を投与

・あまりに発作がおさまらなくて、
 どうにもならなくなったときのために
 送り出す(安楽死)ための薬も用意しておく
 つらい決断だと思うけど、飼い主さんの判断で使ってあげて

とのこと。

これなら家である程度対処をしながら、逝かせてあげられます。

心の中では「それでお願いします!」と思ってるのですが、

私、まだ声が出せず。

嫁「それがいいね」

という提案に

私「はい」

と絞り出すのがやっとでした。

いやぁ、不甲斐ない。

自分がこんなんなっちゃうとは思ってませんでした。

 

先生が、リンさんの右手に点滴用の管みたいなものをセットしてくれて、

色々とレクチャーしてくれながら、

その場で鎮静剤を投与してくれました。

「これで少し落ち着くと思います」

とのことで、一旦診療室を出て待機室へ。

しかし、ちょっとするとキャリーの中のリンさんが

「んぎゃお!」

と、今まで聞いたことのない、めちゃくちゃ苦しそうな声を出して、

脚を突っ張ったり身体を起こしたり、

動き回るようになってしまいました。

少し離れたところに座っていた他の飼い主さんが

「なにごと!?」みたいな顔で見ていたのを覚えてます。

嫁がすぐさま受付に行き

「発作が起きてしまってるようでとても苦しそうなので、
 先生に診ていただきたいです」

とお願い。

再度診療室へ行き、発作の薬を投与。

先生「これで治まると思います。
   もしかすると、このまま旅立ってしまうかもしれませんが
   少し様子を見てください」

実際にリンさんは少しおとなしくなりました。

 

病院からの帰り道、私は薬局に寄ってペットシートを買いました。

リンさんがオシッコしちゃっても大丈夫なように。

 

19時半頃帰宅。

家に戻り、リンさんを、定位置であるリビングの椅子の上に横たえました。

開いた口でなんとか呼吸してるという感じでしたが、

あまり意識はないようで、苦しんでる様子はありませんでした。

ここでもやはり、リンさんに呼びかけて

なでたい気持ちは山々なのですが、

起きたら苦しいんだろうしで、

少しだけなでてしまったものの、

部屋を暗くして少し休ませてあげることにしました。

 

私たちはリビングから出て少し相談。

薬の効果は2~3時間と聞いてたので、

21時くらいからまた忙しくなるかもしれない、

今夜は徹夜で看病かなぁ等と嫁と話してました。

私「安楽死の薬は、必要になったら俺が打つからね」

嫁「いや、私もやるよ。頻繁に病院に通ってたから覚悟はできてる」

と、少し悲しい会話をしつつ、

この後にやってくるであろう戦いに備えて

少し家の作業をしたり、私は仕事の後片付けをしたりしてました。

そろそろリンさんの様子を見てみるかぁ、と

20時50分くらいにリビングに行ってみたところ、

リンさんは静かに椅子の上で寝てました。

嫁「まだ寝てるね」

と言われつつも、なんとなく私はリンさんに注視。

私「リンさん、息してないんじゃない?」

全然お腹が上下してないのです。

嫁「ええー!」

電気を点けて確認すると、

やはり、リンさんは息絶えてました。

私「やっぱりリンさん息してないじゃーんw」

嫁「えー、早すぎるよリンさんw」

と、ふたりして笑いながら言って、

リンさんをなでながら、大泣きしてしまいました。

 

どうですか。このお間抜けぶり。

絶対に最期はそばに居て看取るとか言ってた挙げ句が、

このざまですよ。

私の人生の後悔がまた一つ増えてしまいました。

でも、リンさんの場合は

最期まで鎮静剤が効いていて、

そのまま眠るように息を引き取ったのだと信じたいです。

そして、我が家の、リンさんの一番お気に入りの場所で

最期を迎えさせてあげられたのは、よかったと思います。

 

しかし、覚悟はしてたと言いつつ、やっぱり急でした。

だって、前日にリンさんが頭をひっくり返して、

私がアゴをなでてたあのときから、24時間経ってないんですよ。

あれが、最期の大甘えだったのかもしれませんね。

正確な時刻は分かりませんが、

おそらく、20時40頃に臨終という感じだと思います。

 

リンさんは、2008年9月生まれ(推定)。

2008年11月1日に我が家に来て、

約15年半一緒に居たことになります。

ネコとしては、結構長く生きたほうだと思います。

 

15年生きれば十分だろう。

ペットの死を看取るのは飼い主の責任(ちゃんと看取れてませんが)。

リンさんは腎臓も肝臓もやられてしまってて、

治す方法はなかったんで、これ以上長く生きても苦しむだけだった。

最期は安らかに逝けたのだから良かった。

理屈ではそう思っているのですが、

リンさんが死んでしまったという圧倒的な現実を前にしたら、

どうにもならない悲しさがこみ上げてきて、

めちゃくちゃ泣いてしまいました。

こんなに泣いたのは、ミャウが逝った

小5(だったかな)のとき以来です。

自分がこんなに泣ける人間だったことにびっくりです。

 

嫁「リンさん、気を使う子だったから、
  私たちに面倒をかけないように
  すぐ逝っちゃったのかなぁ。
  だとしたら、すごくリンさんらしい」

そうなのです。

リンさんは、わがままを言いつつも、

人間に気を使って遠慮するところがあるネコでした。

強烈に覚えてるのは、

リンさんが嫁の膝の上に乗ってたときに、

リンさんの爪がどこかに刺さったんだかで

嫁「痛い!」

って声を上げたら、リンさん下りてしまって、

それ以来リンさんは二度と人の膝の上に乗らなくなってしまったのです。

リンさん自身がびっくりして嫌になっただかもしれませんが、

私たちの中では、リンさんが遠慮して乗らなくなってしまったという

エピソードとして語り継がれています。

そして上記の嫁の話に対して

私「そうかもね。
  俺が筋トレをしない曜日を選んでくれたんだね」

と、こんなときにも筋トレのルーチンの話を出してしまう私。

別にふざけてるわけではないのですが、

これが私たちの日常会話なのです。

 

こんな会話をしながら一頻り泣いた後、

「今後のこと(火葬とか)を考えなくちゃね」

「詳しい同僚(最近ネコの死を経験した)に聞いてみよう」

とか言い出して、「ペット 火葬」とかでググったり、

同僚にチャットを飛ばしたりしました。

冷静になったのか、逃避してたのかは分かりませんが、

次にすべきことの確認を始めたのです。

 

会社に

「猫が早々に死んでしまいましたw
 明日は午前半休を取るかなんかすると思います」

と、あえて少しおどけた連絡を入れたところ

「草生やしてる場合じゃないですよ!
 明日は休んでください」

と叱られました。

 

ペットの火葬業者を探していると、

各業者のサイトに、

「死後にやること」的な手引が載ってまして、

とりあえずやることは

・身体を拭いて綺麗にしてあげる

・死後硬直が始まる前に、手足を折りたたんであげる

・冷却して遺体が傷まないようにする

でした。

 

業者選びもそこそこに、とりあえずリンさんの身体を拭くことに。

嫁が、濡らしたタオルでリンさんを綺麗にしていきます。

一通り拭き終わったら、リンさんの手足を持って

軽くほぐしながら優しく折り曲げてあげます。

そんな最中、リンさんの前足を持った嫁が

嫁「亡くなったあとは、肉球ってこんなに白くなるんだね」

と言い出します。

見てみると、たしかに白い。

生前は綺麗なピンク色だった肉球が、

白に近い肌色のような色になってました。

嫁が肉球を触りながら

嫁「リンさん、生きてるときは全然
  肉球を触らせてくれなかったからなぁ。
  今は触り放題だ」

と言い、ふたりでまた泣くのでした。

 

拭き終わったあとも、ついついリンさんをなでてしまいます。

でも、遺体には雑菌もわくようになってしまうため、

触ったら手を洗うよう書いてあるサイトもありました。

なので、リンさんをなでては手を洗い。

でも、数分したら耐えられなくてなでてしまう。

そんなことを何回も繰り返してました。

亡くなってしまったと思ったら、なでずにはいられない。

それなら生きてる内にもっとなでてあげればいいじゃないって話ですが、

生きてる内にも散々なでましたからね!

それは胸を張って言えます。

 

さて、この後の話は若干引かれるかもしれませんが、

それでも書きましょう。

リンさんの冷却をどうするか。

結論から書くと、保冷剤と一緒にクーラーボックスに入れることにしました。

心情的には大変嫌だったのですが、

現実的にはこれが一番いいと思ったのです。

まず、保冷が利きます。

保冷剤と一緒に入れておけば中はヒエヒエです。

そして、遺体からは色々な体液等が流れ出てくるので、

他のネコが触れない場所におくべきだと思ったのです。

上述の雑菌の心配もありますし、リンさんの体液には

薬剤が含まれてる可能性があります。

それを他のネコがなめてしまったりしたら大変です。

クーラーボックスだと、他のネコから完全隔離できます。

すごい効率的でしょう。

本当にこんなことしていいのか、という葛藤がありながらも、

リンさんを、お気に入りのネコベッドの上に乗せて、

保冷のために袋で包んで、

保冷剤とともにクーラーボックスに入れました。

 

リンさんのお気に入りのおもちゃも一緒に入れてやることにしました。

あとちゅ~るね。

もう気持ち悪さからも解放されて、

好きなだけ食べられるようになっただろう!

 

というわけで、おもちゃとちゅ~るも入れて、

私「リンさん、ごめんね。一晩だけ我慢しててね」

と詫び、クーラーボックスの蓋を閉めました。

 

でもね、これがね、よくないんですよ。

もうね、リンさんの姿が見えないことに耐えられないんです。

クーラーボックスを開いて、リンさんを見たい衝動に駆られちゃうんです。

これはいかんということで、

強い気持ちを持って火葬業者探しに戻ります。

 

同僚が使ってる業者を教えてもらったりもしつつ、

最終的には

ジャパン動物メモリアル社さんに

お願いすることにしました。

電話受付を365日24時間対応してます。

22時53分に電話。

すぐさま女性スタッフが出てくださいまして、

火葬をお願いしたい旨を伝えました。

私たちとしては、早いほうが良いだろうという思いがあり

翌日でお願いをしたところ、朝10時からいけるとのことでした。

それでお願いして予約完了。

 

その後なにをしたのかあまり覚えてないのですが、

そろそろ寝る準備をしたんだと思います。

「ちょっとだけ」と思い、

クーラーボックスを開けてリンさんを見て、

ボロ泣きしてしまいました。

 

1時過ぎくらいに布団に入ったんだと思います。

寝室に行く際

私「今日は寝室のドア開けておこうか。リンさん来るかもしれないし」

嫁「そうしよう!」

なんて会話がありました。

実は、最近私たちは、夜寝るときには

寝室のドアを閉めてました。

なぜなら、ドアを開けておくと、

よつばが頻繁に寝室を走り回ったり、

お腹の上に飛び乗ったり、

少し高いところから私たちの頭のすぐ横に飛び降りてきたりで、

マジで安眠を妨害されるからです。

生前のリンさんは、夜、寝室に入りたがることもあったのですが、

入っても、よつばが来ると嫌がって寝室から出ていってしまうので、

結局よつばも追い出してドアを閉めることになるのです。

でも、今日はもうどうせ私たちそうそう眠れませんし、

苦しみから解放されたリンさんが来るかもしれないので、

寝室のドアは開けておこうという提案です。

っていうか、霊体ならドア閉めてても入ってこられるのかもしれませんが。

でも、ドアが閉まってると入れない幽霊も居ますからね。

怪談を散々聴いてる私が言うんだから間違いないです。

 

布団に入ったものの、やはりそうそう眠れるわけもなく、

嫁とふたりで、リンさんとの想い出や、

今日のできごとなんかを泣きながら語り合いました。

そして案の定、よつばが暴れまわっててうるさいのなんの。

3時か4時くらいまでそんなことをして、

ようやく眠ったと思います。

でも、寝てからも何回かよつばに起こされました。

くそ! 明日からはまたドアは閉めるぞ!

 

 

3月27日(水)

嫁は7時半頃、私は8時半頃起床。

 

私は毎朝のルーチンである体重測定や

グルタミンの摂取などをこなし、

リビングの椅子で一息ついておりまして、

ふと、

「ああ、もうリンさんが、なでてーって
 隣の椅子に上って来ることはないんだ」

とか思ったら、朝から号泣ですよ。

そんなところに、嫁が入ってきてので

私は泣きながら事の顛末を説明。

嫁は涙ぐみながら、よつばたちにちゅ~るをあげ始めました。

(ここで「よつば”たち”」と書いてある理由は後述します)

そして嫁は嫁で、ちゅ~るをあげながら

嫁「もう、リンさんにちゅ~るを食べさせて
  あげられないんだ」

と泣いてしまいます。

喪失感ってやつは、

毎日行ってた日常的な行為のさなかで

「あ、今日からやらないんだ」

とか

「今日から、居ないんだ」

と意識したときに、急激に来ますよね。

もう、朝から湿っぽくて嫌ですね。

でももうどうにもなりません。

 

早速、リンさんをクーラーボックスから出してやることにしました。

私「実は、昨日の夜、クーラーボックス開けて
  リンさんの顔を見て泣いちゃったw」

嫁「そうなんだ。私は……見られなかった」

どうやら嫁は、リンさんが苦しそうな顔になってたらどうしよう

というのが怖くて見られなかったそうです。

亡くなる当日夕方の、目を見開いたリンさんの表情や、

亡くなる寸前の苦しそうな顔が焼き付いてしまって、

苦しそうなリンさんを見るのがつらくて、と。

私「でも、昨日の夜俺が見たときは、すごく普通の顔だったよ。
  普通のリンさんだった」

そんなことを言いながら、リンさんをクーラーボックスから出しました。

一晩経ったリンさんは、また少し顔が変わっていて、

信じられないくらいにっこりと笑ったような表情でした。

私「見て、すごくいい顔してるよ。
  にっこり笑ってて、全然苦しくなさそう」

嫁「よかった。
  私たちに、ありがとうって言ってるみたいだね」

とか言いながらまた号泣です。

その後も、ずっとリンさんの頭や首筋をなでてました。

でも、冷たくて硬いんです。

私「あんなにふわふわで温かかったのになぁ。
  今はこんなんかぁ」

嫁「でも、リンさんの毛並みだね」

とまた泣く。

泣きすぎ。

 

でも、泣いてばかりもいられません。

10時には火葬業者が来てしまうのですから。

そんな中

嫁「リンさんと一緒に火葬するためのお花を買ってくる」

私「花なんか要らないべ。ネコは花、あんまり好きそうじゃないし」

嫁「私のエゴだけど、やっぱり最期に少し綺麗にしてあげたい。
  あと、リンさんは川原で野良をしてた時代もあったから
  植物に包まれたら、子猫時代を思い出すかも」

なんてやり取りがあって、嫁は花を買いに出ました。

 

9時半ごろに火葬業者から電話があり、

10時15分くらいに着くとのこと。

花を買った嫁が帰ってきて、

20分くらいしたらもう時間です。

業者が来ました。

 

家にあがってもらって、

リンさんを見せて、火葬をお願いをしました。

業者「あら、かわいいですねぇ。
   うちもネコ4匹飼ってるんですよ」

なんて会話から始まり、

あまり辛気臭くない感じでよかったです。

 

これから火葬までの一通りの流れを説明され、

まずはお清めの儀式。

水を浸した綿棒でリンさんの口元を濡らし、

「末期の水」をあげました。

次に、ハッカ油で清めたタオルでリンさんの身体を拭きます。

 

ねじった紙に入ってるキャンディ(ミルキー的な)のようなものを

リンさんの口元に置かれて

「旅立ちのおやつ、砂糖菓子です。
 あの世でお腹が空かないように」

とか言われたのですが、

「ネコは砂糖喰わんやろ」

と思ったものの、空気を読んで黙っていることにしました。

なぜ砂糖なのか。ここは未だに謎です。

 

ここらへんで

「火葬用のバスケットは使用されますか?」

的な確認があり、有料だったのですがせっかくなので

お願いすることにしました。

やっぱり、最期なんである程度のことはやってあげたい

という気持ちになってしまうものですね。

そんな気持ちにつけ込まれている気がする!

と思わなくもないですが、

別にこの業者さんを悪く思ってはいません。

商売とはそういうものです。

 

バスケットを用意してもらい、

おくるみのような布をセット。

そこにリンさんを横たえるべく、

身体を持ち上げたら、

もう身体がカチカチに固まってました。

そして冷たい。冷やしてたから当然なんですが。

 

フラワーシャワーをします。

そこに、嫁が買ってきた花も添えました。

口元には、ちゅ~ると、クリスピーキッス(以前よく食べてた)と、

大好きだったおもちゃを入れてあげました。

 

一応、リンさんの最期の姿をアップしておきます。

ペットの遺体の写真をアップすることに賛否あることは承知してます。

でも、私の意思でアップします。

「遺体の写真を撮るやつは、本当に悲しんでない」

とかいう声もありますが、

私はリンさんの最期も含めて全部覚えておきたいのです。

だから写真も撮りました。何回でも見返しますよ。ええ。

 

ただ、嫌悪感を覚える心情も理解できるので、

苦手なかたはクリックせずにスルーしてください。

どうですか。

にっこり笑ってるみたいでしょう。

それで、仔猫みたいにあどけない感じ。

私、この写真を見るたびに泣いてしまいます。

2秒で泣けますよ。

書いてる今も泣いてます。

そして、お花があってやっぱりよかったのかなと思いました。

またも嫁に感謝です。

 

その後、リンさんを連れてとある場所へ。

この業者さんは、火葬設備搭載の車で来てくれて、

安全に火葬ができる路上で火葬をするのです。

外は抜けるような青空。

今週は天気が悪い日が多かったのに、

この日は晴天でした。

「リンさん、よかったなぁ。
 こんな気持ち良い日に旅立てるんだ」

と嫁と喜び合いました。

 

火葬する直前、業者さんが

リンさんの入ったバスケットを持ち

「最期にいい子いい子してあげてください。
 これでもう終わりですから」

と言われて、またボロ泣きですよ。

泣きながら

「リンさん、ありがとね」

と感謝を伝えながら、いつもなでていた首筋を数回なでました。

まだずっと一緒に居るつもりなので、

お別れは言いません。

 

40分ほど経過し、火葬が終了。

お骨上げをしました。

ですが、なんせ路上なので、道行く人たちに結構見られましたw

通り過ぎていく人たちが

「ああ、ペットが~」

とか

「ペットもこういうのは覚悟しないといけないんだな」

みたいなことを言ってるのが聞こえました。

変な絡まれかたをしなくてよかったです。

 

お骨を持って帰宅。

私「リンさん、帰ったぞー」

と定位置にセット。

あーあー、リンさんこんなに小さくなっちゃって。

生前同様

私「リンさん、よかったなぁ」

と言いながら骨壺をなでてしまう私。

異常に見えるかもしれませんが、みんなやるでしょ!

やらないのかな。

 

宣言通り、午後からは在宅で仕事を開始。

でも、リンさんのことを考えてしまって

仕事が捗らないったらありません。

比較的単純な作業であればまだマシなんですが、

頭を使う仕事になった途端、

仕事のことを考えてるはずが、

いつの間にかリンさんのことを考えていて、

なんだか泣いちゃう、みたいなことを繰り返してました。

これは、素直に1日休んだほうがよかったですねw

 

夜。

晩ご飯を食べるためにリビングに行くと、

なんだかすごく静か。

リンさんが居なくなったら、よつばとちよが

えらく大人しくなってしまいました。

一体どうしたのか。

私「こんな静かだったっけ?」

嫁「将軍が怪談流してないからだよ。
  最近はリビングに居るとき、ずっとYoutubeで怪談聴いてたでしょ」

と言われ、普段のルーチンができてないことに気づく私。

それじゃあということで、

いつものタブレットで怪談を流すと

それを見て泣き出す嫁。

嫁「いつもの景色なのに、隣にリンさんが居ないんだと思って」

と、まだまだリンさんが居ない生活に慣れそうもありません。

まあ、まだ1日目ですからね。

その他にも

嫁「リンさんが、うちの猫たちのリーダーだったのかもね。
  私がリビングに来ると、”ちゅ~るー”って
  真っ先にせがみに来るのがリンさんだったから、
  そのリンさんに触発されて、よつばとちよも
  動いてた気がする。
  最初に動くリンさんが居ないから、
  よつばとちよは行動を起こすきっかけがないのかも」

と色々推測するしかないのですが、

とにかくネコ2匹が静か。

「リンさんが居ないことに気づき始めたのかねぇ」

とか

「リンさんの霊が居るのかな」

とか、もう色々言ってました。

 

晩ご飯を食べて数時間。

私は、筋トレをすべきかで悩んでました。

普段のルーチンから行くと、

水曜は背中の日なのです。

正直、悲しみのせいか胸の奥がズーンと重くて、

筋トレするテンションじゃなかったのですが、

仮に、リンさんが私に気を使って、

私がオフである火曜日に逝ったのであれば、

私がここで悲しみにくれて筋トレをしないというのは駄目だろう、と

勝手な理屈で自分を奮い立たせて筋トレ開始。

 

でも、筋トレのセット間の休憩中とかにも

ふとリンさんを思い出して泣いちゃうの。

でも、レップ数は増えてちょっと強くなった風でした。

やったぜリンさん!

 

筋トレを終えると、嫁にところに行き

「はぁはぁ」と言いながら服を脱いで、

筋肉具合を嫁にチェックしてもらうのが日課でして、

今日もそれをしたのです。

嫁「お、今日筋トレしたんだね」

私「リンさんが~
  俺が今日筋トレしないわけにいかないだろう」

と先ほどの理屈を伝えたところ

嫁「それは……泣けるね」

とまた泣いちゃう。

そして泣きながら私の広背筋をチェックしてもらいます。

嫁「お、いいぞ。
  背中のボコボコ感が出てきてる」

と、こんな具合で、

頻繁に泣きながらも、日常を取り戻しつつあるのでした。

 

夜にキッチンで嫁がまた泣いてました。

どうしたのか尋ねると

嫁「リンさんのための薬とか、点滴のバッグとか、
  こういうの見てると、
  もうリンさんのために使う必要がないんだなって」

これもまた分かりやすい喪失感ですね。

 

リンさんをケアするために自宅に増えていった

医療品の数々。

壮観ですね。

これらは動物病院に返しに行きます。

あと、院長先生にリンさんが逝ったことを報告して

お礼もしなければなりません。

 

そして冒頭に書いたことに戻るのですが、

私、リンさんのことでこんなに泣くと思ってませんでした。

すごく冷めた言い方をするなら、

リンさんとの関係は、

一日のうちで1~2時間くらいしか一緒に居ないことも多く

(会社行ってたりすると特に)

私がリビングに居るときは隣の椅子に居て、

気が向いたときにちょっとなでる、

それくらいの関係じゃないですか。

私「リンさんの最期を看取る覚悟はしてたし、
  ペットが先に死ぬのは道理だし、
  リンさんの場合、もっと生きられたのに死んじゃったわけじゃなくて
  もう助からないって状態だったから、
  苦しむ時間が短くてすんだのはリンさんにとってよかったから、
  リンさんが逝っても、
  ”少し悲しいけど仕方ない”くらいで
  済むと思ってた。
  でも、自分でもびっくりするくらい悲しい。寂しい」

と、キッチンで大泣きしてしまい

嫁「将軍とリンさんが、それで済むわけないでしょう。
  リンさんを拾ったときは、将軍が一日中世話してたんだよ」

そう。当時は私、無職だったんで

リンさんを拾ってしばらくの間は、日がなリンさんと遊んだり、

目薬さしたりしてたんでした。

嫁「将軍、リンさんのこと大好きだったもん」

と言われ、

今、これだけ悲しい分、

リンさんのことが大好きだったんだと思い知らされました。

私「くそ、困るなぁリンさんめ。こんなに悲しませて」

 

泣いてはしまうものの、

別にすごく落ち込んだりはしてないのです。

ただただ、リンさんが居ないことが寂しいだけで。

そして、この数日間は、リンさんのことを想って

目一杯泣くのが正しいような気がするので、

時間の許す限りそうしてやります。

ふう、泣き疲れた。

 

私「今日はリンさんを寝室に連れて行って、ドア閉めちゃおう」

嫁「そうしよう! リンさん、もうトイレに行く必要もないしね」

ということで、いそいそと骨壺を寝室へ運びました。

骨壺って、こんな頻繁に移動させるものなんですかね。

でも、こうでもしないとやってられないので、

やりたいようにやらせてもらいます。

 

ちよのリン化

話は変わるのですが、

実は、少し前からちよがリン化して来てるのです。

一つは、以前は見向きもしなかったちゅ~るを食べるようになったことです。

これは、リンさんがちゅ~るをほぼ食べなくなってしまった

3月23日(土)あたりから始まりました。

ちゅ~るの容器からは食べないのですが、

ちゅ~るを指に付けてからやると食べるのです。

しかも、すごくがっついて。

 

そして、3月27日(水)の夜辺りから、

私がリビングの椅子に座ってると、

どこからかちよが、のそのそと起きてきて

「なでてー」と鳴くのです。

さすがに、隣の椅子に上りはしないのですが。

 

その他はこれは私たちの思いすごしと言えばそうなのですが、

やはり3月27日(水)。

ちよが暗いところから明るいところに出てきた瞬間に

「まぶしい」って顔をしたのですが、

このときの顔がリンさんの「まぶしい」表情にそっくりだったのです。

このときのちよの表情を見た瞬間、嫁とふたりで顔を見合わせて

「今の顔は、リンさんのおっさん顔だったよね!」

と盛り上がってしまいました。

リンさんのおっさん顔というのはこれです。

リンさんは、ちょくちょくこの顔をしてたのですが、

急にちよが同じ顔をしたのでびっくりしました。

 

一体、ちよになにが起きているのか。

怪談脳の私としては、

リンさんが一時的にちよの身体を借りて、

ちゅ~るを楽しんだり、なでられるのを味わったりしてるのかな、

とか思ったりしがちなのですが、

そう思うことで心を慰めたくなってしまうくらい

今は弱っているのかもしれません。

ちなみに

「3月23日(土)はまだリンさんが生きてたんだから
 そのタイミングでちよにリンさんがつくのはおかしいでしょ」

ってツッコミがあるかもしれませんが、

魂が、死ぬ数日前に身体から抜け出るのはよくある話なんですよ!

そう。怪談の世界ではね。

 

3月28日(木)

また、朝から泣いちゃいましたが、

元気に出社しました。

会社でも、気を抜くとリンさんを思い出して泣きそうになっちゃうので

注意が必要です。

職場で急に嗚咽を漏らすわけにいきませんからね。

ドン引きされちゃう。

 

会社からの帰り道、

嫁とリンさん話をしてましたら

嫁「昔、家にWEBカメラを設置して、
  仕事の休憩中に家のネコを見て和んでたことがあるんだよね。
  動画を観ながら、ネコたちの鳴き声を脳内再生してて。
  今日、休憩中にふとそのときのことを思い出して、
  脳内でリンさんの声が聞こえちゃって、やばかった」

と、嫁もやっぱり大変そうでした。

 

帰宅し、深夜。

そんな悲しみ真っ只中で、ふと

「どうせ俺みたいな人間は、少し時間が経ったら、
 リンさんが亡くなった前後のことを忘れてしまう。
 今、ちゃんと覚えてるうちに記録を残さねば」

と思い立ち、このブログを書き始めたのでございます。

リンさんがどんなふうに逝ったか、その前後でなにがあったのか

きちんと残しておきたいと思ったのです。

 

リンさんが逝ってからまだ2日。

そんなタイミングで、最近のリンさんを振り返り、

リンさんが逝くまでの経過を追体験するというのは、

なかなかメンタルに来るものがあり、

正気の沙汰ではなかったかもしれません。

リンさんの元気なときの写真を見ては泣き、

苦しそうなリンさんを思い出しては動悸が激しくなり、

逝った後のリンさんの写真を見てまた泣く。

メンタルがジェットコースターのように

振り回されましたが、書きたいことはある程度書けた気がします。

そして、たくさん書いたら少しすっきりした気もします。

書くことで吐き出せたのかもしれません。

 

せっかくなので、翌日に病院にお礼に行くところまで書いて

一旦この記事は終了にしようと思います。

 

3月29日(金)

18時頃に仕事を抜けて、病院に、医療品の返却とお礼に行きました。

仕事を抜けてまでこのタイミングで行く必要があるのか、と

問われると難しいところなのですが、

早めに院長先生に報告とお礼がしたいというエゴを優先させてもらいました。

 

上述の通り、リンさんのことを思うとまだまだ泣いてしまう私です。

院長先生にちゃんと話ができるかが不安でした。

だって、頭の中で話すことをシミュレーションするだけで

泣いちゃうんですもの。

 

18時半に病院に着き、診療室へ。

入るなり、院長先生がなぜかすでに泣いてて、

それで嫁も泣いちゃって、やっぱり私も泣いてしまいました。

でもなんとか堪えられたので

私「すみません。まだ、なにかにつけて泣いちゃうんですけど
  すごく落ち込んでるとかじゃないんで大丈夫です。
  この病院で診ていただけて良かったと思ってます。
  ありがとうございました」

とお礼をしました。

私「火曜日、19時過ぎくらいでしたかね。
  こちらでリンの対応をしていただいて、
  その後、自宅の、リンのお気に入りの場所に寝かせて、
  呼びかけたりなでたりしたかったんですけど、
  起こすとまた苦しんじゃうかなと思ったんで、
  部屋の明かりを消してそっと休ませることにしました。
  その後、少し作業をしてから
  部屋に戻ったら、もう息をしてなくて、
  最期の最期、一緒に居られなかったんですけど、
  静かに逝ったんだと思います。
  自宅で逝かせてやれてよかったです」

嫁「先生が、自宅で対応できる選択肢を
  提案してくださったんで、本当にありがとうございました」

先生「リンちゃん、最期は家に帰れて
  すごくほっとしてリラックスできたのかもしれないですね」

とみんなで泣きながら話し合い、

一段落したところで、医療品を返却。

私「火曜に出していただいた薬は、結局一本も使いませんでした」

と報告。

医療品の返却後に、昨日買っておいた

バターフィナンシェをお礼として差し上げました。

リンさんがすごくお世話になりましたし、

いい最期を迎えることができたことにはひたすら感謝です。

ありがとうございました。

 

というわけで、ここでこの記事は終了です。

ああ、疲れた。