よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

早朝のサイレン

この話はいつかブログに書かねばならぬと思いつつ、

今まで温めて(面倒くさくて放置して)いたお話です。

過ぎ去りし2012年7月の出来事。

当時残してたメモや、おぼろげな私の記憶をつなぎ合わせてお送りします。

海の日がある週って、土日月が3連休になりますよね。

その連休中の出来事でございます。

私は某オーケストラの合宿に参加しておりました。

合宿初日の土曜日の夜、

オケの皆で居酒屋で飲み会。

飲み会は深夜まで続き、私が床に就いたのは日付の変わった

日曜日の午前2時頃だったでしょうか。

ほどよく酔いも回っており、私はすぐさま眠りにつきました。

午前5時頃。

バッハのドッペルコンチェルトが鳴り響きます。

寝ぼけつつ、何か聞き覚えのある音だなと思っていたのですが、

私の携帯の着信音であることに気づきました。

携帯の画面を見ると、嫁からの電話がかかってきています。

こんな時間に電話なんて……。

深夜や早朝に、身内から電話があると嫌な感じしますよね。

大抵の場合、時間を選んでいられないくらい緊急の用件があるということですから。

嫌な予感がしながらも私は電話に出ました。

電話が繋がったと思うや否や、携帯からは救急車のサイレンが聞こえてきました。

(ピーポーピーポーピーポーピーポー)

何この電話怖い!

ついに稲川淳二的な世界に足を踏み入れてしまったかと思いつつ、

こちらから問いかけるも、しばらくの間は返事がなく、

ただ、サイレンの音だけが鳴り続けるのです。

嫌な予感を通り越して胸がざわつきました。

早朝の電話から聞こえる救急車のサイレンはかなり破壊力ありますよ。

しばらく反応を待っていると、

サイレンに混じってかすかに声が聞こえてきました。

「……はぁ…はぁ……」

と苦しそうな吐息の音です。

私の方もう全く状況が把握できず、携帯を耳に当てたまま立ち尽くすしかありませんでした。

すると、ようやく嫁の声が聞こえてきて

「ごめんね」

と、とても苦しそうの言うのです。

死んだ嫁が、最後に詫びの電話でも入れてきたのかと思いつつ、

とりあえず返事をします。

私「どうした?」

嫁「昨日の……夜から…お腹が痛くて……、

  ずっと我慢してたんだけど……、

  もう……立ってられないくらいになっちゃって……、

  今……救急車で病院に行くところ。

  一応……病院に来てもらった方が良いかも……」

背後ではずっと救急車のサイレンが鳴っています。

こんな電話をもらっては病院に行かないわけにいきません。

私は4人部屋に宿泊していたのですが、

同室のメンバーに事情を説明し、

荷物と楽器を持ってすぐさま外へ飛び出しました。

嫁は、御茶ノ水にある東京医科歯科大学付属病院に運ばれるとのこと。

幸い合宿所は都内であったため、すぐさまタクシーを捕まえて

御茶ノ水へ向かいました。

移動中は気が気じゃありませんでした。

でも、こんな時なのに

「飛ばしてくれタクシーもっと 宙に浮くほど」

と、B'zの歌詞が頭に浮かんできて、

ちょっとおかしかったのを覚えています。

程なくして病院に到着しました。

裏門のようなところから敷地内に入るものの、

病院でっかーい!

どこに行けば良いか分かりません。

少しの間、彷徨い、詰め所にいる警備人の方に道を聞きつつ、

何とか救急外来用の出入口を見つけました。

そこから中に入ると、すぐに受付があり、

受付横には待合用のソファーが並んでいます。

まずは受付に行き、

「◯◯(嫁の氏名)がこちらに運ばれたと連絡を受けまして、

 自分は◯◯の夫です。」

と伝えたところ、何か有ったら呼ぶから

とりあえずソファーに座ってろとのこと。

朝5時半頃でしょうか。

早朝だというのに、ソファーには20人くらいが座っていました。

皆、私と同様に、家族や友人が救急車で運ばれて、

その結果を待つ人達なのでしょう。

私もソファーに座り、彼ら同様、ただ祈ることしかできない存在となりました。

また、照明もちゃんと点いてなくて、

不安を煽る暗さなんですよこれが。

30分が経過しましたが、まだ呼ばれません。

そうしている間にも、ストレッチャーに乗せられた新たな患者が

処置室のような部屋に運ばれていきます。

付き添いの男性は、水着にシャツを羽織っただけのような格好でした。

私は「ああ、水辺での事故なのかな」などと思いながら

ぼーっと眺めていました。

私は横では、ある一家が泣きながら、

「だいぶもったけど、お父さんいよいよ駄目だね」

「最後にみんなと過ごせて、お父さんも幸せだったと思うよ」

といった会話をしていました。

この会話を聞いて、今自分は、生と死が交錯する場にいることを

改めて実感し、嫁が死ぬかもしれないという可能性を

いやでも考えずには居られなくなりました。

重い病気かな。ガンとかだったらどうしよう。

食あたりくらいだったら良いんだけど。

助かるかな。

もう、嫁の笑顔が見られなくなるのかな。

このまま嫁が動かなくなってしまったら、明日からどうやって生きていこう。

こんな月並みな考えが、とりとめもなく頭の中を回っていました。

心配したところで結果が変わるわけではありませんが、

他にできることもなく、ひたすら待つしかありません。

いつ呼ばれるのかも、嫁がどういう状態なのかも分からないまま、

ただただ待たされるというのは精神衛生上なかなかよくないです。

1時間くらい経過した頃、受付に行き、

「1時間くらい待ってるんですが、まだですか」

と聞いたところ、

先ほど同様、何かあったら呼ぶから座ってろとのこと。

うーん、この状況きつーい。

言うまでもなく、周囲の待ち人達はみんな暗いです。

隣では一家が号泣してます。

これは気が滅入ります。

マジで何かしてないと狂ってしまうと思い、

とりあえずスマホSkypeを起動し、

会社に報告をしたり、家族に連絡をしたりしてました。

Facebookにも書き込んだりしましたが、

結果も分からないまま書き込んでも

無駄な心配を生むだけかと思い、アップした記事を削除したり、

なんだか支離滅裂な行動を取ってました。

当時、最初の書き込みにFacebook上で返事を下さった方々、

ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ないです。

(多分、誰も覚えてないと思いますが)

どうにか精神を保ちながら待つこと2時間弱。

ようやく呼ばれて処置室のような部屋に入ると、

奥の方のベッドに嫁が居ました。

意識があるようで、

普通に医師と会話をしてました。

医師に挨拶をし、病状を説明してもらったところ、

虫垂炎とのでした。

なんだー、虫垂炎かー。

もう本当に心底ほっとしました。

虫垂炎でも重篤な症状になる場合もあるのかもしれませんが、

このときの私は完全に不安から解放され、解脱状態でした。

今日これから手術をするとの説明を受けましたが、

解脱状態の私は、「ああ、もうじゃんじゃんやってください」ってな感じです。

ストレッチャーに乗せられた嫁が、エレベーターで

別フロアにある手術室に運ばれます。

私は、手術室に入る嫁を見送ってから、

すぐ横にある待合室のようなところのソファーに座り、

そこで手術が終わるのを待つことにしました。

早朝にホラーな電話でたたき起こされて睡眠も足りてなかった上、

さきほどまでの極度の緊張から解放され、ウルトラリラックス状態になっていた私は、

いつしか眠ってました。

どのくらい時間が経ったでしょう。

母親からのメールで目が覚めました。

「病院に着いたよ」

とのこと。

私は

「まだ◯階で手術してる。

 俺は手術室横のソファーで待ってる」

と返しました。

すると母親はこう返してくるではないですか。

「もう◯◯(嫁の名前)ちゃんの横に居るけど……」

んー? これはどういうことだ?

これはマジで全く意味が分からなかったです。

母親は、医者の制止を振り切って手術室に突入し、

嫁の横で手術を見てるのかしらん。

母親とメールのラリーを続けたところ、

嫁はもう別フロアの集中治療室に居て、

うちの母親もそこに居るとのこと。

もうお分かりかと思いますが、

私が寝てる間に、手術は終わっていて、

とっくに嫁は運び出されていたのでした。

爆睡してて、嫁が運び出されたことに気づかなかったんですね。

本当に、すぐ横を通ってるはずなんですけど。

気づくと、私のすぐ近くに、

さきほど「お父さんもう駄目だね」と言って

号泣していた家族が居て、

「お父さんよく頑張ったよね」

なんて言ってました。

おそらく亡くなったのでしょう。

私の中では、同じ待合室で時間をともにしたその家族に対して、

かすかな絆のようなものを勝手に感じており、

お父さんが助からなかったことが少し悲しかったです。

しかし同時に、嫁は無事だったという喜びもあり、

でも、その家族の前ではその喜びは見せられないなという思いもあり、

寝てる間に嫁の手術が終わってたというバツの悪さもあり、

感情の処理が追いつかなかったことを覚えています。

心の中で、その家族たちに別れて告げて集中治療室へと向かいました。

中に入ると、すでに嫁は意識を取り戻しており、

うちの母親と会話をしてました。

若干の気まずさを感じながら嫁のベッドに近づき、

私も会話を交わしました。

もう二度と話せないかもしれないと思ってた私は、

こうして再び会話ができることを、密かにじんわりと喜びました。

しかし、集中治療室には様々な患者さんが居りまして、

私のじんわりとした喜びなど、長続きはしないのです。

嫁の隣のベッド――隣と言っても5メートルくらいは離れてるんですが――

に横たわっているおじいさんが

「服返せー。返してくれー」

みたいなことをずっと繰り返していて、

こういうのを繰り返し言われると、私も嫁も笑っちゃうんですよね。

看護師の皆さんも、まともに反応してもしょうがないことを悟っているのか、

基本は放置なんですが、たまに声をかけるんですよ。

「なんで服がほしいの」

「家に帰る」

「家に帰ってまた熱中症で倒れたらどうするの!」

といった感じで、看護師さんもキレ気味です。

そんなやりとりを何回かした挙げ句に、

おじいさんの方が

「金返せー」

とか言うようになり、申し訳ないですがもう完全にコントでした。

不謹慎なのは分かってます。すみません。

その後、私は会社に連絡を入れ、

一応嫁が退院するまでは会社を休むことにしました。

翌日、嫁のお母さんがかけつけ、一緒に病院行ったりしてたんですが、

なんとそのお母様は、その後数日間、今日は私の家に泊まるというではありませんか。

病院での作業を一通り終え、嫁母と一緒に家に帰るわけですが、

社交性の低い私にとって、嫁の母と二人きりというのは

なかなかに堪え難い時間でした。

嫁母が、よくしゃべる人なので、

私は基本的に相槌を打つだけのマシーンになるのですが、

同じ話を何回もされるので

すぐさま私の精神は限界を迎えてしまい、

これが数日続くのは堪えられない、

という結論を出しました。

翌日、私は会社に行きました。

休みをキャンセルして出社するなんていう所業は、

普段だったら考えられない選択なのですが、

背に腹は代えられませんでした。

嫁母と二人っきりの時間を過ごすくらいなら、

仕事をしていた方がましだったのです。

早退して、嫁の見舞いに行ったりしてましたが、

嫁は結局4日くらいで退院し、

予想外に早く、我が家に平穏が戻ってきたのです。

毎年、海の日のある3連休が来る度に、

早朝の電話で救急車のサイレンを聞かされた、

あの瞬間を思い出し、軽いトラウマになってるなと思いながら、

今も嫁と二人で幸せに暮らせていることに幸せを感じるのです。