よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

ここ数ヶ月詰め合わせ

ブログに書くネタはいっぱいあるものの、

時間がなかなか作れず数ヶ月経ってしまったので

まとめていっぱい書いちゃうの巻です。

時系列が前後しまくるかもしれませんが、まあ適当に。

 

嫁がなんだか体調不良

3月31日(日)の夜くらいから、嫁が体調を崩しました。

症状としては、発熱、下痢、

みぞおちと右腹部の激痛(背中も痛い)、

みたいな感じ。

素人目には食中毒っぽく見えるのですが、

それにしてもなかなかに症状が激しい。

ネットで症状を調べると、急性胆嚢炎とかが近いのですが、

なんせ医者じゃないので何も分かりません。

 

日付が替わって、4月1日(月)の午前2時くらいかしら。

いよいよ、夜間外来で病院に行くか救急車を呼ぶか、

みたいな状況になりまして、

一旦「#7119」に電話してみることにしました。

詳しくは皆さんで調べてみてほしいですが、

簡単に言うと

「救急車呼ぶか迷ったらここにかければなんか案内するで」

的なサービスです。

 

で、かけまして嫁が症状を伝えたところ

  • 下痢が続くと脱水状態になる可能性もある
  • 夜間外来で病院に行くことをお勧めする
    • 現在、夜間外来を受け入れてる病院の
      電話番号を教える(6件くらい)

ってな感じで、病院の電話番号をもらいました。

が、教えてもらった6件のうち5件は、電話しても出ません。

コールは鳴るのですが延々つながらないのです。

そして最後の1件は、ようやく電話に出てくれたものの

「人手が足りなくていっぱいいっぱいだから、
 別の病院にかけてほしい」

と言われました。

嫁「他もかけたんですが全然繋がらなくて」

と状況を説明すると

病「ああ……少々お待ちください」

と若い青年が言い、十数秒の保留音の後に

やや年配の女性が出ました。

現場の看護師の責任者っぽいかたでした。

そのかたも結局

「今夜うちの病院では無理。
 痛み止め飲んで様子見て。
 本当にきついときは、もう救急車呼んじゃったほうが確実」

というアドバイスをくださり、電話は終了。

 

その後、嫁は言われた通り痛み止めを飲んだところ、

痛みは少しましになり、その日は寝ることにしました。

嫁は頻繁にトイレ行ったり痛みでほぼ眠れなかった様子。

朝になり、嫁は働ける体調じゃないのでお休み。

嫁の体調がいつ悪化するかわからないので、

私もいざとなったら病院につれて行ける態勢を整えつつ

在宅で仕事をしておりました。

翌日も嫁の体調は相変わらず。

私は会社で新卒たちに研修をする役目があったのですが、

急遽他の人に代わってもらい、引き続き在宅で対応。

嫁を近所の病院に連れて行ったところ

「まあ、食中毒かなんかだったんじゃん?」

的な感じで、特に検査もしてもらえず終了しました。

結局、これが何だったのかは未だに分かっていません。

 

なんてことがありました。

でまあ、生きてる人間に危機が迫ると、

死者を悼む余裕とかなくなっちゃいまして、

3月26日にリンさんが逝ってからしょっちゅう泣いてた私も、

この件を境にスパッと平常心を取り戻したのであります。

 

リーキーガット症候群

上記の体調不良前からではあったのですが、

とにかく嫁が胃腸の調子が悪いというのがずっと続いていて

それに加えて昔から

  • とにかくアレルギーがひどい
  • 眠りが浅い

といった体質もありました。

 

で、私がふと見かけて某記事で、

リーキーガット症候群なるものが紹介されていたのです。

気になる方はちゃんと調べてみてください。

 

医学的にはまだ正式に認められた病気ではないらしいのですが、

リーキーガットとは何かというと、

「漏れる腸」です。

情報リークするとかのリーク(leak)です。

漏れるとか漏らすって意味ですね。

それが形容詞になってリーキー(漏れやすい)。

ガットは内臓とか腸(はらわた)ってことで、

ここでは腸(ちょう)を指します。

主に小腸らしいです。

 

小腸の腸管のつなぎ目がゆるくなって

本来は腸管から吸収すべきじゃないものもの

するする漏れて血液中に取り込んでしまうとか。

 

そのせいで、身体のいろんなところに

不調(上に挙げたもの含む)が出て

アレルギーとかも起きますよ、みたいな話なのです。

 

で、これがなんで起きるかっていう要因の一つに、

遅延型アレルギーがあるのだと言うのです。

通常のアレルギーは、アレルゲンに触れるとすぐに

症状が出るのですが、遅延型アレルギーの場合、

アレルギーに触れたり食べたりしても特に自覚症状はなくて、

本人の感覚としては別に何の問題もない。

でも実は、小腸が緩やかにダメージを受ける、みたいな。

 

でまあ、まだ正式に医学で認められてはいないとはいえ、

ちょっと心当たりもあるんで、検査してみるかってことで

・リーキーガット

・遅延型アレルギー

の2種の検査をしてみたのです。

大枚はたいて。

 

結果

リーキーガットか否か

に関しては、バリバリの陽性でした。

検査結果が8項目あり、

「1つでも陽性があったら、リーキーガットの可能性があるので
 医者に相談しろ」

みたいなことが書いてあるのですが、

嫁はなんと、8項目中7項目が陽性でした。

 

遅延型アレルギー

に関しては、下記食品にアレルギー反応がある、と。

 ※上のものほどアレルギーが強い

これはなかなか衝撃的な結果でした。

嫁は確かに昔から、牛乳飲むと体調が悪くなると言ってて、

ホエイプロテインとかも駄目だったんですよね。

よく、乳糖が駄目な人はホエイプロテインのWPCだと駄目で、

WPIなら飲めるって話があるのですが、

嫁はWPIでも駄目だったので、

乳糖云々って話じゃないんだろうなとは思っていました。

 

そして、実はここ数ヶ月、腸のためにってことで、

二人して毎日ヨーグルトを食べるようにしてたのですが、

これが嫁にとっては駄目だったのかもしれません。

 

というわけで

「じゃあ、このアレルゲンを避ければ
 体調が良くなるのかちょっと実験してみるべぇ」

ということで、リーキーガット改善計画が始まったのでございます。

ただ、日常の食べ物から、乳製品と卵を排除するというのは、

なかなかハードルが高くて少々苦労しております。

でもまあね、白米は食べられるし、

魚も食べられるし、タンパク質不足は

ソイプロテインで補えるのでなんとかなります。

 

そしてすぐさまメスが入ったのが、

嫁が大量に蓄えていたおつまみ軍団。

裂きイカとかはイカがNG。

チーたらがNG。

ってな具合に全滅でして、

大量のおつまみたちは会社の同僚にあげることになりました。

これを書いてる7月1日時点で、

嫁がアレルゲンを断ってから1ヶ月くらい経過しております。

 

ノスタルジー&実家系

父からの誘い

4月末頃。

22時くらいに、私がふとスマホを見ると

不在着信が残っていて、

「おや? こんな時間に電話とな?」

と確認してみると父親からでした。

夜に親族からの電話って、結構重要な連絡だったりすることもあるので、

私から折り返してみると

父「なんか、間違えてかけちゃったんだよw」

と言われて一安心ですが、

少しやり取りをしていたら

父「まあ、声が聞けて良かった」

とか言われて、こっちは逆に不安になったりするのです。

そして

父「近いうちに、一緒に風呂屋にでも行こう」

とのお誘い。

私が子供の頃は、ちょくちょく父親と一緒に近所の銭湯に

行ってた記憶がありますが、多分小学校後半くらいからは

さっぱり行ってません。

リンさんのこともあるし、

できるタイミングでこういうイベントはやっておいたほうが

良いんだろうな的な思いが浮かんできたりしまして

私「うん。行こう。できたらゴールデンウィーク中に」

などと返事をして、その日の電話は終わったのです。

が、結局ゴールデンウィーク中には行けず。

だってほら、俺、筋トレしないといけないし。

とか言ってるとまた後悔することになるから

近日中に実施しようと思っておりました。

 

サイヤからの誘い

5月2週目くらいに、小学生時代の旧友である

サイヤ(※)からLINEが来ました。

(※ 小学校時代にサイヤ人って言われてたので)

「飯に行こうぜ」

とのお誘いで、私も二つ返事でOKしました。

 

5月16日(木)に新宿の「わらやき屋」で飯を喰い、

大いに盛り上がりまして、

今度はロック(去年の同窓会に来られなかった旧友)を誘って

飯を喰うぞって流れになり、

その場でロックにLINEをしたのです。

私「今、サイヤと飯喰ってる」(写真送りつつ)

私「今度会って飯食おうぜ」

ロ「いいね! 金曜だったら実家に帰るから」

私「じゃあ5月31日(金)だ!
  5月31日(金) やれんのか!」

ロ「やったるぜ!」

という熱いやり取りがあり、5月31日には

地元で飲み会をすることになったのです。

ロ「19時まで藤沢で仕事がある。
  車飛ばしても地元に行けるのは21時過ぎになる」

サイヤ「おせえよ!」

私「仕事早退して!」

と、今年で45歳になる社会人らしい会話を経て、

19時には飲み会を始めることと相成ったのです。

サ「将軍の親父さんにはお世話になったから、
    挨拶に行きたいな」

というので、私は、これを機に色々やってしまおうと思い

  • 5月31日の飲み会前に、サイヤを将軍家招き両親と挨拶
  • その後、私がサイヤ家に行き、お母様にご挨拶
  • その後、飲み会
  • 夜は実家に泊まる
  • 翌日、父親と飯を喰ったり風呂屋に行く

というツアーを組んだのです。

 

5月31日(金)当日

私は会社を16時に早退。

帰り道の途中で、千疋屋に寄りフルーツゼリーを購入。

私の親くらいの世代の皆様は、

とりあえず千疋屋というだけで喜んでくれるので安心です。

って、こういうことを書かないほうが良いんでしょうけど。

私は贈り物等のセンスがないので、こういう安牌を選んでしまうのです。

 

17時に地元駅である尾久でサイヤと待ち合わせ。

旧友と地元の町を歩いて、一緒に我が家へ行くっていうのは

なかなか乙なものがありますよ。

我が家に着き、一階の仕事をチラ見。

我が家は一階で印刷をやっており、

小学生時代のサイヤもしょっちゅう一階を出入りしてたのです。

そして、壁に貼ってある、私の父が釣った魚の魚拓を見て

サ「この魚拓は昔もあったよね!」

などとちょっと盛り上がってから、

サイヤと共に、二階のリビングへ。

事前に連絡はしてあったので、我が家の両親とも揃って迎えました。

サ「いやぁ、お久しぶりです」

から始まり、昔話へ。

サ「小学校1~2年の頃によくお邪魔してました。
  将軍くんの家に来ると、お父さんがお小遣いをくれて
  それで近所の駄菓子屋に行って、火薬鉄砲の火薬を買ってました」

私が子供の頃は、火薬鉄砲でよく遊んでたんですよ。

ググったら今も出てくるので、一部では現役なのかもしれませんが、

リボルバータイプ(他のもあるのかも)のピストルの

弾倉部分に、リング状の火薬をセットして、

引き金を引くと火薬が炸裂して

パン! と音が鳴るだけのおもちゃです。

銃口からちょっとだけ火も出ます。

サ「そこのトイレの前で、電気消して真っ暗にして
  撃つと、火がはっきり見えて面白かったんですよ」

我が家のトイレは、ちょっと変わった造りをしてまして、

リビングの壁にドアがあり、

それを開けると半畳くらいの小部屋があって、

その小部屋の左側にまたドアがあり、

そこを開けるとトイレがあるのです。

おそらく、リビングから直でトイレが

見えないようにという配慮なんだと思います。

その、トイレの前の小部屋に入って、

リビングへのドアとトイレへのドア両方を閉めて

電気を消すと結構な暗さになるんです。

手軽に暗闇を作れる場所として、子供時代は重宝しておりました。

火薬鉄砲とか、蛍光タイプのおもちゃとかを、

よくその小部屋に持ち込んでは暗闇で光を見てキャッキャしてました。

暗闇でおもちゃが光ってるだけで楽しかった

あの頃はよかったなぁ、とか思ってしまいますね。

話が逸れましたが、トイレ前の小部屋で火薬鉄砲を撃ってた話を受けて

母「えー、今聞くとずいぶん怖いことやってたんだねぇ」

とか言ってました。

サイヤ「すぐそこに駄菓子屋さんがあって」

その昔、我が家から徒歩20秒くらいのところに

駄菓子屋があったのです。

父「ああ、おばあちゃんがやってたところなぁ」

母「夜になると段ボールが貼られるところでしょ」

私「え、なにそれ? 段ボール?」

母「夜になると、入口ドアのガラス部分とか
  を段ボールで塞いでたんだよ」

と、説明を聞いても結局よくわかりませんでしたが、

おそらく、シャッターとかがなかったので、

外からの視線の遮断と、多少防犯的な意味も込めて

段ボールを貼って塞いでたんでしょうね。

サ「あの駄菓子屋で、よくキョンシー
  御札のシールを買ってきて」

私「あ、それまだトイレのドアに貼ってあるよ」

サ「これだ! 懐かしー!」

なぜ、切れてずれた状態で貼られてるのかは

もはや謎ですが、子供の頃に私が貼った御札が

今も現役で我が家を守っているのです。

母「剥がすと汚くなるし、
  もういいやと思ってずっと貼ってあるんだ」

とのこと。

私「あの駄菓子屋は、もうだいぶ前になくなったよね」

母「Iさんが、居住用の建物をあの場所に建てちゃったからね」

私「もう俺が、小学校高学年の頃には
  なくなってたんじゃないかなぁ」

サイヤ「ああ、そうなんだ。
    高学年のときにはあまりこっち来なかったからなぁ」

サイヤが言うには、上述のように私の家に来て

よく遊んでたのは小学1~2年生の頃だけだったそうです。

たしかに、5~6年生の頃はクラスも違っていて、

あまり交流もなかった気がします。

でも3~4年生はどうだったんだろう。

クラスは同じだったんですが、遊んでたのかどうか

全然思い出せません。

私の中では、小学生時代に仲が良かったやつらって、

6年間通じて仲が良かった印象なんですが、

意外と変遷があるものなんですね。

ちなみに、私もサイヤも小学1~2年の頃はアホだったので、

学校の廊下で「ビーバップごっこ」と称して、

殴り合いの遊び(寸止めよりはちょっと当てるみたいな)をして

先生に怒られたりしてました。

あと私はその頃からプロレスが好きで、

サイヤが家に遊びに来た際に、

私のベッドの上にサイヤを寝かせて、

ベッド脇にある洋服ダンスの上から

私がサイヤの腹めがけて、

全体重を載せたニードロップを食らわせたりしてました。

なんせ子供なんでね。

本当に遠慮を知らないので、

まじで全体重を載せてましたが、

サイヤは自慢の腹筋でそれを受け止め、

顔を真っ赤にしながら「大丈夫」と

痩せ我慢をするのです。

いやぁ、一歩間違えたら大事故ですよねこれ。子供って怖い。

あと多分、ニードロップはブルーザー・ブロディ

影響されてやってたんだと思いますが、

本家の真似をして首にニードロップしてなくて

よかったなとつくづく思います。

この辺の話は怖すぎるので、この場で親にも言いませんでした。

父「今は何の仕事してんの?」

サ「薬局系のところで営業っぽい仕事をしてます。
  新卒で入った会社で薬の営業をしてて」

父「俺も昔、薬の営業してたんだよ」

私「え、そうなの!?」

と私も知らない話が出てびっくりですよ。

というか、父親とあまりそういう話をしたことがないんです私。

父「今はどこに住んでるの?」

サイヤ「浦和のほうです」

母「将軍が生まれる前は、うちらも浦和に住んでたからねぇ」

父「浦和は鰻の町だからなぁ」

とか

父「競馬場があるだろ」

とか浦和トークで盛り上がってました。

私だけ浦和の地元ネタは分かりませんでしたが。

さらに、サイヤが小学校時代の写真を数枚持ってきていて

うちの親に見せたりしてました。

でも、もはやみんな老眼が進んでいて、

写真を見ても顔とか全然認識できないので、

写真をスマホで撮ってからズームするという手法で

サイヤ「これが僕です。これが将軍くんです」

父「え、これが将軍? 全然わかんねえ」

なんてやってたら意外と盛り上がってしまい、

1時間くらい経過してました。

この後の予定もあるので、この場は一旦お開き。

 

我が家を出る際、父親が一緒に下りてきて、

改めて一階の仕事場を見て回ったりしました。

我が家の一階は、時代の趨勢に応じて

印刷機の数こそ減ったものの

あまり全体の雰囲気は変わってないので、

サイヤもだいぶ懐かしかったようです。

約38年の時を経てって感じでしょうか。

 

今度こそ我が家を後にして、サイヤ家へ向かいます。

サイヤ家は我が家から徒歩数分の距離です。

今回、お邪魔することにしたものの、

実は小学生時代の私はそれほど頻繁に

サイヤ家にお邪魔したわけではないのです。

お母さんは、私のことを覚えているだろうか。

サイヤのお父さんは、私が20歳くらいの頃に

ガンで亡くなったそうで、

現在家に居るのは、家業を継いだお兄さんと

お母さんのみとのこと。

サイヤ「うちの母親とはそんなに盛り上がらないだろうから、
    サクッと終えたらその辺散策しよう」

みたいな話をしながら

私も38年ぶりくらいにサイヤ家の玄関をくぐり、

二階のリビングへ。

サイヤ家も一階はほぼ工場(こうば)なので、

上階が居住スペースなのです。

ちなみに、サイヤ家は三階建てで、

家が二階建てだった私は、

子供頃にその三階建てがすごく羨ましかったのを覚えてます。

二階に通されると、すごく小柄な

お母さんがいらっしゃいました。

正直、私はサイヤのお母さんを全く記憶してなくて、

気持ちとしては「はじめまして」っていう感じなんですが、

私「お久しぶりです」

と一応言っておきました。

お母さんのほうも「ああ、なんとなくわかる」

と言ってまして、お互いうっすら再会みたいな感じでした。

私から、十八番の千疋屋の手土産をお渡しし、

母「あら~、千疋屋だって」

とまんまと喜んでいただきました。

そして、お母さんがお茶菓子的なものを用意しようとするのを

私「大丈夫です。ボディビルダーなんで」

て丁重にお断りして、なんとなく昔話へとなだれ込みます。

 

序盤に何を話してたか覚えてないのですが、

早々にサイヤが、戸棚の奥から何かを持ってきたと思ったら

ファミコンカセットの山。

こんなもん持ち出されたら、

もう盛り上がらないはずもなく、

ソフト一本一本を見ては色々駄弁りました。

キン肉マンの後ろに書かれた「アカガワ」の字が眩しいです。

中古ソフト買ったりすると、たまに名前が書かれた

カセットが当たったりしましたよね。

非売品と書かれた迷宮組曲も何なのか気になります。

ひょっとしたらレア物だったりしないのかしら。

面倒なので調べませんが。

 

適当に掘り起こしてみる。

バトルシティが懐かしい。

戦車で撃ち合う熱いゲームでした。

子供の頃は、めちゃくちゃ楽しかった記憶があります。

そして、キングオブキングス

私は昔からシミュレーションゲームが苦手で、

子供の頃の私にはキングオブキングス

ちょっと難しかったのですが、

兄が頑張ってクリアしてた気がします。

最後はルシファーを倒すんですよねたしか。

兄のプレイを、横で応援しながら見てたと思う。

 

そして気になったのがこれ。

ゼルダの伝説と言えば、

私の中ではディスクシステムのイメージなんですが、

カセット版もあったんですね。

しかも、なぜか二つある。

もう、ぱっと見ただけでどれが何のソフトか

分かってしまいますよね。

ツインビー

ナッツ&ミルク

月風魔伝

FF3

 

そして当時の子供達を熱狂と大喧嘩に巻き込んだ

熱血高校ドッジボールですよ。

このゲームは熱かったですね。

必殺シュート(ドッジボールだけどシュート?)の出し方が、

当時はあまり確立されていなくて、

みんななんとなくの体感でやってましたが、

よく出せてましたよね。

当時はネットなどないので、

友人や兄弟から口伝で伝わる

有象無象の情報を基にみんな頑張ってプレイしてました。

 

そしてこれですよ。ドラクエ4

箱もありました。

公式ガイドブックも。

以前にもブログに書きましたが、

ドラクエ4と言えばサイヤなのです。
(以前書いたときは「S」って名前にしてた気がします)

ドラクエ4の発売日、私とサイヤは

梶原のおもちゃ屋である「こぐま」に買いに行きました。

予約をしてあって、予約権の番号が300番台だった気がします。

324とか。って考えると、町の小さなおもちゃ屋一軒で、

数百本とか売ってたんですかね。

そしてドラクエ4をまんまと買った私とサイヤは、

なぜかサイヤの家に行きました。

さっさと自分の家に帰ってドラクエやったら良いのに、

なぜ友人宅に行ったのか。

この当時の心理は未だに謎です。

サイヤ家に行ったものの、

サイヤ兄がドラクエ4を始めてしまって

私は、サイヤ兄がプレイする

ライアンをただ見ているという謎の時間。

そして

サ「あーあ、兄貴がプレイしちゃったからお前できないよ」

と、なぜか私が非難されているかのような

口調で言われたのを覚えています。

そのドラクエ4がまさにこれということですよ。

私の記憶に強く残るドラクエ4エピソードの

まさに現物が目の前に!

と、ちょっと感動。

そして、そのときにふと気づきました。

今私が居るリビングの壁際にテレビがあるのですが、

当時、お兄さんのドラクエ4

このテレビの位置で見てた気がしないのです。

そのリビングは、二部屋ぶち抜きみたいな造りになってまして、

私は部屋の境界線あたりを指しながら

私「昔はここにテレビがなかったですか?」

母「あったあった。昔はそっちにも置いてたね。二台あったのよ」

私「サイヤ兄のドラクエ4はこっちのテレビで見てた気がする」

サイヤ「いや、それはないと思う。
    そっちのテレビにファミコンを繋いでたことはないはず」

と、両者の記憶が合致しないのですが、

もはや真相は分かりません。

ただ、38年ぶりくらいに来たサイヤのリビング、

しかもそんなに頻繁には来てない部屋で、

「当時はここにテレビがあった気がする」

という記憶があって、それが合ってたことにはちょっと驚きました。

逆に、それ以外のことはほぼ覚えてなかったですが。

それだけドラクエ4事件が私の記憶に強く残っていたということで、

そんな私がテレビの位置を間違えているわけがない!

というのが私の主張です。

まあ、どうでもいいんですけどね。

そんな話の流れで

私「当時、サイヤがファミコンのカセットとか
  おもちゃを買いに行くときは、
  お母さんも一緒にお店に行ったりしてたんですか?」

母「いやぁ、私はほとんど行ってないと思う」

サイヤ「うちは父親が、こぐま(おもちゃ屋)の親父と仲良かったから。
    だから、父親がよく一緒に来てた気がする。
    うちの父親も、こぐまの親父も無人会っていう会に入ってたから」

無人会? なにそれ。

って感じなんですが、そういう寄り合いみたいな、

自営業や個人商店のおっちゃんたちの会があったそうです。

別に活動とかはしてなくて、

集まって会って飲むだけみたいな感じだったそうですが。

母「一回だけ、ゲームのなんだかがほしいってサイヤが言って
  近所のおもちゃ屋になくて、
  "北千住のなんとかっていうおもちゃ屋ならそれがあるはずだ"
  ってサイヤが言い張るんで、一緒に行ったことがあったけどねぇ」

私「それで、買えたんですか?」

母「あんまり覚えてないけど、なんか買ったと思う」

サイヤ「全然覚えてない。それ俺? 兄貴じゃない?」

当時の私たちにとって、北千住といえば結構遠くて、

電車を乗り継いで行く都会でした。

そんな場所におもちゃ屋があることすら知りませんし、

そのおもちゃ屋ならこのゲーム(ソフトなのかハードなのかも不明)がある

という情報源もなんだったのか。

謎だらけです。

サ「おもちゃで覚えてるのは、ウージーウォーターガン」

私「出た! サイヤと言えばウージーウォーターガン!」

というくらい、私たちの間ではメジャーなネタなのですが、

皆さんにはさっぱりでしょう。

昔、そういう電動水鉄砲があったのです。

当時は夏になると、公園で水鉄砲戦争がよく勃発していたもので、

その水鉄砲戦争だけは、男子も女子も

混ざって一緒に遊んでた気がします。

みんなビショに濡れになって遊んでたので、

今となっては、撃たれたらアウトなのかとか、

どうやったら勝ちなのかとか、

ルールがよく分かりませんが、

めちゃくちゃ楽しかったってことだけは覚えてます。

そんな水鉄砲の戦場に、ウージーウォーターガンを

装備したサイヤが降り立ったのです。

サブマシンガンの形をしていて、

引き金を引きっぱなしにすると

電動で連射(と言っても、0.5秒に1発くらいかな)してくれるのです。

飛距離は10メートル。

みたいな感じで、なんだかすごく印象的でした。

ただ、上述の通り、ルールとかもよくわからないので、

ウージーウォーターガンが強かったのかと言われると

わからないのですが、

多分純粋に「格好良かった」とか「すごかった」って

感じなんだと思います。

サ「当時、テレビCM見て、欲しくなっちゃってさぁ」

その場ですぐさま検索して、当時のCMをyoutube上で見つけた私。

これを見せながら

私「これか!」

サ「これこれ! 今でもはっきり覚えてる。
  懐かしいなぁ。値段も覚えてる。1980円だった」

と言ってて、サイヤの中では相当強く記憶してる様子。

ところが

サ「将軍が電動の水鉄砲持ってるのが羨ましくて、
  それで欲しくなったんだよ確か」

私「いや、違うと思う。
  俺はサイヤのウージーウォーターガンが羨ましくて、
  それに対抗して、アサルトライフル型の
  電動水鉄砲を買ってもらった気がする」

と、また記憶の食い違いがあったりします。

 

少し話が小学校関連の話題になった際

サ「小学5年のときに、Sを廊下で背負投したら、
  頭がこんな(野球ボールくらい)腫れちゃってさ」

私「背負投で頭が腫れるってのは、
  頭から落ちたってことなのか?」

サ「わからないけど多分そう。受け身とかも取れないしね。
  で、担任のK先生に激ギレされてさ、
  Sの親に謝りに家まで行ったんだよ」

母「そう! それ、学校から電話が来たんだから。
  サイヤくんがこういうことをしたんですが、
  お母さんご存知ですか?って。
  あんた、そういうこと言わないから、私も知らなくて」

サイヤはこういうことばっかりしてるから、

戦闘民族とか呼ばれるようになって、

今ここでもサイヤと書かれるようになってしまっているのです。

こんな話をしてたら、サイヤ家でも

思いの外盛り上がってしまい、

散策する時間もなく、尾久駅前の「たらく」へ。

 

19時にたらく集合という話になっており、

ロックもそろそろ来るはず。

とりあえずサイヤと二人でたらくに入り、私はトイレへ。

トイレから出て席に戻ると、もうロックがいました。

私「うぇーい!」

とテンション高く絡む私。

ロ「え、こんなゴツくなってんの」

みたいなリアクションをされ、三人で飲み会開始。

普段一切酒を飲まない私。

仕事の飲み会で他社の人と飲み会に行っても

頑なにウーロン茶を飲み続ける私ですが、

今日はもうしょうがないということで、

ビール一杯だけ飲んでしまいました。

そして、ロックとは本当に小学校卒業以来、

全く会ったことがなくて、

33年ぶりくらいの再会なのですが、

実は小学生時代にほぼ交流がなくて、

一言も喋ったこともないんじゃないかって

レベルの間柄なのです。

ですが、そんなことももう関係なく、

昔の同級生だからってだけで

なんだか盛り上がれてしまう不思議。

遅れて女子二人も合流。

計5人での飲み会となりました。

 

さて、このロック。

小学校時代はだいぶ真面目なキャラで、

勉強もできて、中学受験をして

みんなとは違う中学に行ってしまった、

そんな人間なのです。

まあ、違う中学に行ってしまったのは

私もそうなんですが。

小学校卒業してから今に至るまでを語ってくれ!

と雑に聞いてみたところ

ロック談
中高一貫の学校行ったんだけど
 中学時代に、男子二人から告白されてさ(ロックも男)
 うちらが子供の頃って、
 そういう世界があることすら知らなかったし
 ちょっと怖くなっちゃって、
 受験して別の高校に行ったんだよ。
 (中略)
 パチンコ屋で働くようになって、
 彼女ができて結婚したんだけど
 自分の結婚式で感動しちゃってさ、
 人の人生の一場面をこんな風に演出して
 感動させられる仕事ってすごいなって思って
 ブライダルプランナーを目指すことにしたんだよ。
 で、パチンコ屋を辞めて、
 "ブライダルプランナーになるわ!"って嫁に言ったら
 "バカじゃないの?"
 って言われて1ヶ月で離婚することになった。
 (中略)
 車が好きだったんで教習所の教官になって
 (中略)
 その時その時に、これをやりたいって思うことをやっていったら
 こうなった」

なかなかロックな生き様じゃないですか。

小学校時代のキャラなんて、

まったくあてにならないですね。

 

このロックの話でもう一個お気に入りなのが

ロ「息子が中学生になってさ、もう彼女ができたって言うんだよ。
  で、友達カップルとダブルデートに行くって言うんでさ、
  当日、俺、見に行っちゃったんだよね。
  息子の彼女がどんな子か気になってさ。
  で、遠くから見てるつもりだったんだけど
  俺も段々盛り上がってきちゃって、
  声かけちゃったんだよね。
  そしたら、息子にすげえ嫌な顔されてさ」
一同「当たり前だろ!」
ロ「その場で5千円渡して、"これで美味いものでも喰って!"って言って
  帰ってきた」

とか言ってまして、

こんな面白いやつになってるとは想定外でした。

 

そしてもう一個。

我らの同級生に S というちょっと変わった男がいるのですが、

みんなで「S は何してんのかねぇ」なんて言ってましたら、

ロ「あ、数年前にSとちょっと接点あったよ」

とか言い出すではないですか。

ここもちょっとまとめて書きますと

ロ「数年前から、母親がちょっと体調崩してて
  母親は一人で実家に住んでて、
  俺は結婚して別の家に住んでたの。
  ある日、母親に電話して
  ”調子どう?”的なことを聞いたら
  ”Sくんが身の回りのことやってくれて助かる”
  とか言うんだよ。
  Sは仕事でヘルパーやってるわけでもなんでもなくて、
  無職で時間はあるらしくてさ
  言わば、ただ親切でうちに来て
  母親の世話をしてくれてるらしいんだけどさ」

ここまで聞いたところで

一同「怖ー!!」

って感じでした。

ここだけ読んだら、Sはただのいい奴に見えるかもしれませんが、

昔からSを知ってる我らからすると、

ちょっとホラーなんですよね。

でまあ、その後ちょっとしたきっかけがあって、

Sとは交流を断ったとのこと。

私「無職なのか。今も無職なんかね」

というと、今も地元に住んでいる女子の一人が

女「多分。しょっちゅうその辺徘徊してるもん。
  さっきもそこを自転車で爆走してたよ」

と、これまた恐ろしい情報をくれました。

ううむ。Sとは、一度会うだけなら会ってみたい気もするけど、

ちょっと怖い。

 

色々と無駄話をしてましたら、

ロ「最近、飲み会って言っても仕事関係で
  他社の人とか上司が居る飲み会ばっかりで、
  気を使ってばっかりだったから、
  こんな、何も気にせず楽しめる飲み会は数年ぶりだよ。
  めちゃくちゃ楽しい!
  この会、定期的に開催してほしい!」

と、本当に楽しそうにしてまして、

早退させてまで誘った甲斐があるというものです。

私からすると、ようこそノスタルジーの世界へ!

という思いです。

ただ、ロックは小学生時代のことは

ほとんど覚えてないそうで、

みんなからしたら

「え、それすら覚えてないの?」

ってレベルのことまで覚えてませんでした。

例え昔のことを覚えていなくても、

例え小学校時代の交流がなくても、

会えばあっという間に打ち解けられる。

それが、旧友というものなのですね。

 

ぐだぐだと、なんの生産性もない話をして、

気づいたら23時になってまして、

店が閉まるということで解散となりました。

サイヤと女子1名は電車で帰り、

もう1名の女子は今も地元に住んでいるので、

自転車で帰っていきました。

そして、私とロックは今夜は実家で泊まるので、

二人で実家方面へと歩いていきました。

途中、

ロ「この辺も変わったよなぁ。
  あ、あの店なくなったんだ」

とか言い出すので

私「ちょっとこの辺を巡って
  思い出散策するかい?」

と提案したところ、まんまと喰い付いたので、

二人して無駄にあちこち歩き回りました。

私が観光ガイドさながらに

私「あそこは元は◯◯だったけど、
  今はこういう店になったんだ」

とか案内してましたら

ロ「ちょっと詳しすぎでしょ」

と若干引かれましたが

私「俺がこの辺何周してると思ってんだ」

と私のノスタルジー番長ぶりを伝えてやりました。

しかし、そんな中でも

ロ「あ、この店、Kが趣味でやってる店でしょ」

と私の知らない新情報が出てきたりして、

これはこれで収穫がありました。

そんなこと言われたら、今度日中に来てみるしかありません。

 

その後、お互いの実家近くを通りすぎ、

あらかわ遊園方面へ。

ロ「 I の家ってこの辺だったよな」

私「この路地の奥のほうだったよね」

と、ちょっとした袋小路のようなところへ進入。

いくつかそれっぽい戸建てが並んでるのですが、

暗くて表札が見えません。

バカになってる私達二人は、

スマホのライトを付けてかざし、

一軒一軒表札を確認して回るという暴挙に出ました。

こんなもん、住んでるかたからしたら

恐怖でしかないですよね。ほんとすみません。

そして、警察にでも見られたら言い逃れがないくらいの

不審者ですが、幸い(多分)誰にも迷惑をかけずに済んだと思います。

そして、結局 I の表札は見つからず。

私「ないなぁ。じゃあもう引っ越しちゃったんだなぁ」

ロ「えー、ショックだなぁ」

私「それか、婿に入って名字変えたか」

などと言いながら撤退。

あらかわ遊園通りを南下し、

「こどもの家」を見て

ロ「ここでよくもんじゃ喰ったなぁ」

とか言いながら、再度実家方面へ。

最後にちらっとコンビニに寄って解散となりました。

別れ際に

ロ「今日は本当に楽しかった。
  定期開催頼む」

と言って去っていき、去った後もLINEで

同様のメッセージが来ました。

これだけ言われたら定期開催せざるを得ませんね。

 

私が実家に帰ったのはちょうど0時くらいでした。

なので、ロックとの思い出散策を1時間くらい

やっていたということですね。

私が2階のリビングに行くと、

予想外に父が起きてました。

でも、よく見たら寝てました。

リビングのテーブルの横に座り、

まるでテレビを観ているかのような姿勢で

寝落ちしてました。

ううむ。これはどういう状況なのだろうか。

起こすべきなのかなんなのか、

10分ほど逡巡してましたら、

父がふと意識を取り戻し

父「おお、帰ってたんか。
  将軍が帰ってきたぞー!」

と言うと寝室から母も起きてきました。

そして父は、テーブルの上にある

お菓子をばりばりと食べ始めるのです。

これから寝るってタイミングで、

こんなにお菓子食べて大丈夫なんかと

心配になったところ

母「もう! こんなに食べちゃ駄目!」

と母がお菓子を取り上げて、どこかに隠しました。

父「目の前にあったら喰うだろう」

とか言いながら、お菓子を隠されたもんだから

今度は背中側の棚の上にあるかごを取り、

テーブルの上に置く父。

そして気づいたらテーブルの上に、

大きな梅干しの種が2つ置いてありました。

この梅干しは、母の日に私が母あてに贈った

ちょっとだけ高級な梅干しでした。

母「ああ、あっという間に2個も食べて!
  味も分からないうちに!」

と母がぷりぷりしながら、

食べ物という食べ物を片付けていきました。

 

そんなやり取りの後、

母親が寝室から

母「なんか、こんなのが出てきたんだけど」

と謎の箱を持ってきました。

なんだこれは?

と思っていたら、中身はビデオカメラ。

こ、これは!

母「これ、何撮ったんだかわかる?
  全然記憶がなくて」

私「これは、高校の文化祭で、俺が出たライヴを撮るために
  買ったビデオカメラでしょう」

母「ええ、撮ったんだっけ? 全然覚えがないけど。
  誰が撮ったの? 私もお父さんもこんな機械操作できないし」

私「誰が撮ったかは覚えてないけど、
  間違いなく撮ったよ。
  うちのビデオで観た記憶があるもん。
  ビデオカメラの中に小さい
  8ミリテープみたいなのが入ってて
  その8ミリテープをVHSのアダプタにセットして
  VHSのプレイヤーで観るんだよ。
  捨ててなければ、テープ自体はそこの棚に入ってると思う」

これは、例えテープが残ってて

デジタル化ができたとしても、

とても皆様にお観せできるような代物ではないので、

闇に葬ることにします。

 

そしてビデオカメラの箱の中には、

高校時代の文化祭のパンフレットが入ってました。

96年97年の。

私、中高と本郷だったんです。

いやぁ、これはお宝ですよ。

そして母から渡される封書。

表面には「断食」の文字。

これね、断食はバンド名なのですよ。

私が高3のとき、一個下の後輩達が作ったバンドです。

ドラムが居ないからってことで、

私がドラムとして入ったのです。

高校時代にバンドをやろうとすると

ドラムが居ないってのはあるあるですよね。

私はX JAPAN信者で、Xの曲をやるために

バンドを組んでたのですが

やっぱりドラムが居ないってんで

私「じゃあ俺がドラムやるわ」

ということで多少ドラムが叩けたのです。

そんな私が後輩のバンドに参加して、

文化祭でLIVEをやった後、

後輩が私にくれた手紙がこれなのです。

中身はとても熱いメッセージが書かれてます。

いやぁ、元気にしてるのかなぁアイツら。

ネット上で名前をググったけど全然見つかりませんでした。

 

両親とこんなやり取りの末、1時くらいには寝ました。

 

6月1日(土)

9時ごろに起床。

糖質とタンパク質だけ補充しときゃ

いいだろうということで

銀だらと卵焼きとご飯。

父も母も居るリビングでご飯を食べていると

母「お父さんね、昨日の夜
  将軍が帰ってきてから話したの覚えてないんだって」

と衝撃の発言。

あんなやり取りがあったのに覚えてないとかあんの。

母「今、睡眠導入剤飲んでて、
  それ飲んですぐ寝ればいいのに
  寝る前に起きてきてとにかくお菓子を食べるんだよ。
  しかも、本人はそれを覚えてないの」

とのことで、もう本人からしたら

知らない間にお菓子を食べてる状態のようで、

こんなことが毎晩繰り返されてるのだとしたら、

とてつもなく身体に悪そうだなと思いました。

会えるうちに会っておかないと!

という思いを強くする私でした。

 

昼ご飯は、父が大好きな角萬のそば。

一部のそば好きの間では有名な店で、

開店直後からとにかく並びます。

回転が早いので並んでてもすぐ食べられますが。

いくつか店舗があるのですが、

父のお気に入りは浅草だそうで、

父の運転で浅草へ。

開店直後でしたが、たしかに並んでました。

こちらがお店の看板。

並んでる間

父「この靴知ってるか」

と、スケッチャーズというメーカーの靴を見せてきました。

父「スポッと履けて、すぐ脱げて
  すんごい履きやすいんだよ。
  もう革靴履けないね」

私「へー。全然知らない」

あまり靴の脱着に不便を感じたことのない

私にはピンときませんでしたが

父「後で買ってやるよ」

とか言い出して、予想外の展開になってしまいました。

10分くらい経過したところで店内へ。

話によると、父は週2~3回くらいのペースで

この蕎麦屋に来てるそうですっかり常連のご様子。

そして、私の注文を勝手にしてくれる父。

父「きつね冷やし肉南蛮蕎麦の大盛り」

店「ライスもお付けします?」

ここの蕎麦って多いんですよ。

大盛りは特に。

もうね。私も今年で45歳ですし、

一応ビルダーとして多少減量をしてたりする身でして、

そんなに喰えないでしょって気持ちなんですが、

なんか親とか祖父母って、

子供がたくさん食べると喜ぶみたいな傾向あるじゃないですか。

ここは、それに応えねばなるまい、と思ったりするわけです。

私「じゃあ、ライスもお願いします!」

と無謀な発言をしてしまったのです。

 

来ました。

これ、写真で伝わるか分かりませんが、

結構なボリュームなのです。

そして、うどんのように太い蕎麦。

これが角萬の特徴です。

実際美味しいんですよ。

結構無謀かと思ったのですが、

意外と食べ切れました。

腹9分目という感じで。

 

店を出て近くの駐車場に停めてあった

父の車に乗り込み

父「じゃあ風呂に行こう」

ということで私はもう流れに身を任せるのみです。

で、このまま風呂に行くのかと思ったら

途中ショッピングモールのようなところに寄りました。

私「ここに風呂屋があるの?」

父「ここで、靴買うんだよ」

とあるモールの中にあるABCマートへ。

店員さんに

父「スケッチャーズがほしいんだ」

店「こちらです」

と案内され、行ってみるとすげえいっぱい種類があるの。

そして価格を見てびっくり。

一足1万円以上するじゃないの。

普段、4千円くらいのダンロップさんの

マジックテープスニーカーを履いてる私としては

ちょっとびっくり価格です。

でも、靴に1万って、一般的にはそんな高くないんだと思いますが。

試しに27センチを履いてみたら

案の定小さくて、28センチに。

でも28センチの在庫があるものがあまりなく、

選択できるのは2~3種類という感じ。

パッと見、紐靴っぽく見える

それっぽいやつを選び、

28センチのを試着させてもらいました。

若干きつめではあったのですが、

これくらいなら慣れるだろうということでそれに決定。

一つ選んで終わったと思ったら

父「一足じゃ面白くねえだろ。交互に履けるようにもう一足選べよ」

とか言われて、結局二足買ってもらっちゃいました。

ひゃぁ、高額だー。

この歳になって、親に靴を買ってもらうことになるとは。

でも、買ってもらうのも親孝行ですよねきっと!

と自分で言っていくスタイルでいきます。

で、その後モールを出て風呂屋へ。

 

よく父親が風呂屋風呂屋言ってるものの、

一体どんなところに行ってるのか

全く知らなかったのですが、

「THE SPA 西新井」

なる場所でした。いわゆる町の銭湯ではなくて、スパだったんですな。

地下の駐車場に車を停め、

エレベーターで上階へ。

エレベーターを降りると、ホテルの入浴施設のような雰囲気。

私、こういう場所には全然来ないので

若干ビビりながら父についていきました。

受付の仕方とか全くわからないので、

父に任せてぼへーっとしました。

受付が終わり、鍵の付いたブレスレットを

もらったら更衣室へ行きます。

ここまで来てしまえばこっちのものです。

あとは服脱いで風呂に入るだけですからね。

浴室に行ってみると、想像以上にでかい。

まずはジェット風呂的なコーナーへ。

4種類あって、

・椅子に座るような姿勢で湯に浸かって
 ふくらはぎにジェット水流が当たる
・床から上方にジェット水流が出ていて、
 それを腰で受けて浮く
・床から上方にジェット水流が出ていて、
 それをお腹で受けて浮く
・もう一個忘れた

みたいな感じで、ふくらはぎはまだ良いんですが、

お腹や背中でジェット水流を受けて浮く風呂では

私は全く浮けませんでした。

ジェットが弱いのか、私が重いのか。

ちなみに私は今こんな感じです。

ちょっとそれっぽくなってきたでしょう。

今年1年絞って、もっとバキバキにしていきます。

で、私10年以上前に沖縄に行った際、

そのときにはもっと脂肪が乗っていたにも関わらず、

海水に浮かなかった記憶があるので、

もはや私はそうそう浮けないのかもしれません。

っていうか、実はもう泳げないレベルで沈むのかも。

父「(風呂が)広くて気持ちいいだろうー?」

と嬉しそうに言ってきます。

父は本当に、風呂が広いことに

すごく喜びを感じるようで、

広さを求めて銭湯やスパに行くんだそうです。

家の風呂は狭いから嫌なんだって。

実家が建って40年くらい経つのですが、

この40年間で、父が家の風呂に入ったのは

2回くらいだそうです。

1回は、結構最近。

帯状疱疹で腕がぶくぶくになっちゃって、

ちょっと外に行ける状態じゃなくなっちゃったときに

仕方なくって感じらしいです。

その後、外にある露天風呂へ。

露天風呂と言っても別に岩風呂ではなくて、

普通の銭湯の風呂が外にあるという感じでした。

天気が良くて直射日光のおかげで気温も高く、

風呂も熱いという状況。

私、空気が暑いのは平気なんですが、

風呂が熱いのにはちょっと弱いのです。

のぼせ気味なのか、さっき腹いっぱい喰った蕎麦のせいなのか

若干鼓動が強くなってくるのを感じつつ、

せっかくの父との時間なのでゆったりと過ごしました。

その後、屋内へ戻り水風呂へ。

でも、水風呂にちょっと足を入れただけで、

氷水のように冷たくて、

こんなところに全身浸かったら死ぬわと思い

水風呂はパスしました。

ちょっと落ちついたところで、身体を洗ったり

また風呂に入ったりして、更衣室へ。

父はここにほぼ毎日来てるとのことで、

常連の友達がいっぱいいるんだそうです。

更衣室で服を着てるときにも

男「おう!」

父「今日はゆっくりだね」

男「今日二度目(笑)
  朝一で来て、テニスしてからもう一回来たの」

などと言っていて、

もう本当に私の理解の範疇を

超えた風呂好きたちの憩いの場のようでした。

更衣室の隅にはタンニングマシーンがありました。

こんなところに置いておいて誰か使うのか不明でしたが、

私が通ってたら使ってたかもしれませんね。

タンニングマシーンの横にある自販機で、

ポカリを買ってもらっちゃっいました。

施設内の自販機等、いろんなものは

ブレスレットをかざすと利用できるようになっていて

出るときにまとめて精算というシステムでした。

別に珍しくもない仕組みかもしれませんが、

私にとっては結構興味深かったです。

 

家に帰り一息ついて、

16時くらいに帰ることにしました。

ノコノコと帰ろうとしたところ

父「送っていくぞ」

と言われ、さすがに自宅の最寄駅ではないものの、

途中の乗換駅まで送ってもらっちゃいました。

母親も一緒に。

久しぶりに実家に泊まったりせいで

両親側も張り切ってたのか分かりませんが、

なんだか色々とやってもらっちゃいました。

電車に乗って無事帰宅。

 

買ってもらった靴。

 

ちょっとした旅行をしてきたくらい濃密で、

結構ぐったりと疲れました。

でもまあ、今回の企画はやってよかったなと思いました。

 

ワンピース スイーツブッフェ

6月3日(月)

この日は何の日か?

嫁の誕生日なのです。

うちの嫁は、少し前からワンピースにどっぷりはまっていて、

ワンピース関連のいろんなイベントに行ったりしてます。

で、この日は京王プラザホテルで

ワンピースのスイーツブッフェが開催されるとのことで、

一緒に行ってくるのです。

ビルダー的には大変NGな企画なのですが、

嫁の誕生日なのでそこは付き合おうということです。

で、6月3日といえば、我らがお世話になっている

素盞雄神社様の天王祭の日なので、

とりあえずは素盞雄様にご挨拶。

 

その後、秋葉原へ向かい、

TAMASHII NATIONS STOREとかいう店に行きます。

そこにもワンピースの何かがあるとかで。

が、事前にゲットしていた地図がよく分からず、

軽く迷ってしまいました。

彷徨い歩いているとふたりともお腹が減ってきて、

そのへんの出店みたいなところでなにか食べたいところなのですが、

私は基本的には余分な脂質を摂らないようにしており、

嫁は卵と乳製品を避ける必要があり、

そんなこと言ってると、

食べられるものがほとんどないのです。

で、結局はGoogleマップさんを使ったらあっさり着けました。

駅出てすぐのところにあるのに、

何を迷う要素があったのか!

ってくらいの場所にありました。

 

中では超合金イベントみたいなのをやっていて、

昔から現在までの超合金の人形やらがいっぱい並んでました。

 

もちろんワンピースのフィギュアもありました。

 

ドラえもんも。

 

なぜかあずきバー

 

メカゴジラ

 

嫁は、ほしいものがここで売ってるかと思ってきたものの、

目当てのものがなかったんだかで、

何も買わずに退散。

帰り道の途中、私は玄米おにぎりだけ買って食べました。

さあ、車で京王プラザホテルを目指して新宿へ。

 

ホテルの地下駐車場に颯爽と入り込み、

駐車場で上階へ。

エレベーターから降り、

それっぽい場所に着いたのが15時くらい。

スイーツブッフェは15時半からの予約なので、

30分くらいぶらついて時間を潰します。

フロア丸ごとワンピースとコラボしてる感じで、

壁のあちこちにワンピースの絵が飾ってあり、

嫁が片っ端から1枚1枚写真に収めてました。

15時半になり店内へ。

席に案内され、色々と説明を受けます。

店員さんに

嫁「アレルギーの都合で、卵と乳製品を控えてるのですが
  それらが入ってない食べ物はありますか?」

と尋ねたところ、一回奥に確認に行ってくれました。

 

とりあえず最初のお通し的なやつ。

 

嫁はなんせ誕生日なので、

Happy Birthdayの文字が添えられております。

 

そして、先程の店員さんが戻ってきて、

卵と乳製品が使われてる食べ物のリスト的なものを

持ってきてくれました。

その結果、嫁が食べられるのは

「ハンコックの火鍋」のみ、ということがわかりました。

これ。

なので嫁は、スイーツブッフェに来て、

火鍋を延々食べるというシュールな状況。

そもそもスイーツブッフェを

予約すんなよって言われそうですが、

これを予約した後で

アレルギーのテストをしたら

判明してしまったので仕方ないのです。

 

そして、嫁としてはせっかくきたので、

ワンピースに関連したいろんな食べ物を見たいし

写真も撮りたいってことで、

私が軽食とスイーツを片っ端から頼んで

平らげていくというスタイルで行くことにしました。

一応ビルダーで一応ゆるく減量中なのですが、

仕方ありません。

なんせ嫁の誕生日ですから。

ただ、私はあまり甘いものに強くないというか、

すぐに「うぇっぷ」ってなっちゃうんで、

ケーキとかはそんなに食べられないのです。

それもで頑張ってこれらを食べました。

厨房近くには、悪魔の実を模したメロン(?)が

置いてあったり、あちこちに芸の細かい仕掛けがありました。

本来は、スイーツ好きな人達が

もっと楽みながら食べるイベントのはずが、

なんだか二人して苦行みたいな状態になってしまい、

各方面に申し訳ない気持ちです。

そして、脂質と糖質をたっぷり摂って、

明日が健康診断というスケジュールなのです。

果たしてどうなるものか。

 

健康診断

診断結果

体重は100kgで、昨年、一昨年とほぼ変わらず。

言い訳をさせていただくと、

体重に関してはですね、少し前に97kg台まで減ってたんですよ。

ですが、ここ2週間くらい会社の飲み会とかが多くて、

少し増え気味だったところに、

最後の週末で

旧友たちとの飲み会~蕎麦大盛りとご飯~スイーツブッフェ

というコンボが発生して見事に100kgに

なってしまったという次第でございます。

ただ、見ていただきたいのは、腹囲が順調に減っているところ。

101 → 88 センチ!

なんだかんだで一応痩せているということで。

血液検査

血糖値がぎりぎり引っかかるという結果。

これはまあ、スイーツブッフェの影響なんだろうということで

あまり気にしないことに。

中性脂肪とかコレステロールはもうすっかり大丈夫。

去年より腹囲も減ったし、

自分としてはちょっとずつ健康体になっていってるな

などと思い、一通りの検査を終えて帰るかというタイミングで

「ちょっと、健康指導があるので少々お待ちください」

と言われ嫌な予感。

2~3年前も似たようなことを言われて、

なんか色々言われた記憶があります。

数分突っ立っていると、

医者なのか栄養士なのか分かりませんが、

それっぽい女性の先生が来まして、

とある部屋に連行されました。

でまあ、やっぱり話としては

「肥満だから、運動とか食べ物について指導しますよ」

ことで、BMIが高いって話から始まったのですが。

先「あ、でも腹囲はすごい減っていってますね。
  運動とかダイエットとかされてるんですか?」

私「はい。ボディビルダーになろうと思って、
  今色々やってまして」

という返答をしたところ

先生が興味津々に喰い付いてきちゃいまして

先「朝ご飯はなにを食べてるんですか?」

私「納豆と卵とご飯です。そこにプロテインを20gくらい。
  朝ご飯は毎日それです」

先「昼ご飯は?」
私「在宅の日は、サバと人参とご飯。
  ブルーベリーを入れたヨーグルト。
  出社の日は、とある店で買う海鮮丼です。
  もう、毎日それしか食べてません」
先「晩ご飯は?」

私「レンジを火を通したサーモンとブロッコリーとご飯です。
  出社の日は、ブルーベリーヨーグルトを夜に食べます。
  日によっては夜に回転寿司に行ったりします」

先「間食とかはされるんですか?」

私「毎日16時くらいに羊羹を一本だけ食べます。
  コンビニとかで売ってる一本56gくらいのやつ。
  これは空腹時の糖質補給の目的で摂ってます」

先「では、それは目的があって摂ってるんですね
  なるほど」

と、私の食生活を赤裸々に語りまして

先「コレステロールも低いですし、
  血液は健康ですもんね」

私「基本的に、肉を食べてないのと、
  魚や卵、ヨーグルトに入ってる以外の
  脂質を摂ってないので」

などと言ってましたら、

もう食事に関してはこいつに特に言う事ねえな

みたいな空気になりまして

先「これは興味本位で聞くんですが
  筋トレはどのくらいの頻度で、
  どのくらいの時間やるんですか」

私「基本は週5で、1回2~3時間って感じですかね」

先「そんなにやるんですか。
  やっぱりジムに通われてるんですか」

私「いえ、実は家に筋トレ部屋がありまして」

とか、もうほぼ雑談みたいになり、

何なら途中で

「ちょっと見てもらっていいですか」

と、検査着を脱いで

身体を見てもらおうかと思ったくらいでしたが、

ギリギリでやめておきました。

で、

先「食事も運動も特に言う事ないんで、頑張ってください」

という感じで終了。

健康指導っていうか、

私が先生を楽しませる会でした。

 

終わり

という感じで、4月頭~6月頭くらいの詰め合わせでした。

またえらい文量になってしまった。