よれよれ将軍のよれよれ日記

日常のことをよれよれと書く日記です。

恩師と再会

さて、Y との再会と並行して、

小学校時代の恩師(以下、K先生)との再会プロジェクトも

進行していました。

K先生は、実は私と同じ路線の沿線に住んでおり、

「じゃあ、お互いの家の中間地点辺りの店で飲もうか」

なんて話をしておりました。

K「11/27(土)の週以降の週末ならいつでも大丈夫」

というので、11/27(土)に予定を入れていたのですが、

これまた土壇場で

K「やっぱりリスケして」

という連絡が来まして、

なんだか懐かしい人との再会は

一回はおあずけを喰う宿命にあるようです。

 

じゃあ翌週でってことで、

12/4(土)に会って飲むことにしました。

場所は一旦T駅ということにしまして

K「T駅ならいくつか知ってる店もあるから
  できたら店も選んでおくよ」

なんて言ってくれたので、それに甘えることにしました。

 

で、前日の12/3(金)の夜。

私は嫁と同僚の計3人で、懐かしの温野菜に行きました。

20時に予約して行ったにも関わらず、

お店が混んでいて20時過ぎてもなかなか案内されず、

エレベーター前でひたすら待たされました。

そんなとき、スマホを見てみるとLINEが来ていることに気づき、

開いてみるとK先生から。

「明日のことで話したいから電話していいか」

とのこと。

電話すること自体は構わないものの、

若干タイミングが悪いなと思い、

その旨を伝えると、そのままLINEがつらつらと送られてきました。

要約するとだいたいこんな感じ。

・明日の店がまだ決まってない

・もう歳だから個室がいい

・行きつけの魚民なら個室があるけど
 明日は空いてなくて、来週なら空いてる
 だから来週にしないか?

ここへ来てまたリスケをしようというのか!

私、こういうのをのんびり待てる性分ではないのと、

翌週には予定が入ってたこともあり、

私「いえ、明日にしましょう。
  店は私が探します」

とわがままを言いまして、

そのままK先生とやり取りをしたり、

店を探したりでだいぶ時間を取られ、

テーブルに案内されてからもしばらくは

温野菜を楽しむどころではありませんでした。

ただ、その場で店を決めることはできず

とりあえずは同僚と飯を喰い、

帰ってから本格的にネットで探して

よさそうな個室ありの焼き鳥屋さんを発見しました。

その時間にはもう先生は寝ていたようで

返信はありませんでしたが、

まあ大丈夫だろうということで予約をしました。

 

ようやく再会

翌朝、先生からLINEが来て

K「よさそうなお店じゃない。じゃあそこで」

的な感じで無事セッティングは完了。

少し早めですが、17時にお店集合。

一個前の記事で書きましたが、

この日は昼に散歩をして、カマさんの亡骸を見たりしてました。

で、16時過ぎくらいに家を出て待ち合わせの店へ。

結局T駅ではなくH駅になり、

私は初めて降りる駅で、いろいろ新鮮な気分。

Googleマップを見ながら店へ向かうと早々に到着。

16時40分くらいに着いてしまって、

さすがに早すぎたなと。

でも遅刻するのは嫌だから、大体早めに来ちゃうんですよね

こういうときって。

しかし、17時近くなっても一向に先生は現れません。

LINEを送っても音沙汰なし。

もしかしてもうお店に入ってるのかしらん、と

店に入ってみると先生は来てない様子。

今日もきっと話が尽きずに、長くなりそうだなと思い、

私「席に時間制限はありますか?」

店「2時間になっております」

私「延長とかできるんでしょうか?」

店「あいにく個室はもういっぱいで、
  個室じゃない席にお移りいただくことは可能です」

なるほど。

まあ、そのときになったらまた考えようということで、

とりあえずは予約していた個室に入りました。

17時過ぎても、先生から連絡はなく、

これまた本当に来るのかというドキドキと、

久しぶりに会うドキドキとで、

大変ドキドキしながら待っておりましたら、

5分遅れくらいで、店員さんが先生を連れてやってきました。

私は立ち上がって先生をお迎えし、

ガッツリと固い握手を交わして濃厚接触をしながら、

ふたりしてひたすら「いやぁ、お久しぶりです」と

言い合ってました。

なんか、テーブルについてからも、

1分くらいは「久しぶり」しか言ってなかった気がします。

 

ラク

K「将軍くんと飲みに行くって言ったら、
  妻がびっくりしてましたよ」
K先生の奥様は、同じ小学校の教師をされていて、

小学校時代に私も面識があるのです。

K「妻からは、あなたは恵まれてる、と言われた。
  こんな風に教え子とつながって、
  飲みに行くなんてことないよって」

まあ、そうなんでしょうねとか思っていたら、

K「実は、これまでにも結構いろんなミラクルがあって、
  将軍くんで3回目くらいのミラクルかな」

と言うではありませんか。

K「1つ目は、N子ちゃん。
  実は小学校の教師になってて、
  A区の小学校に転任したんだよ。
  転任する際に、校長と面接みたいなのがあるんだけど
  そこの校長がたまたま私と仲がいいやつで、
  そいつが面接のときにN子ちゃんの出身校を見て、
  『K先生って知ってる?』と聞いたら
  『恩師です』なんて答えが返ってきて、
  そいつから
  『君の教え子が転任してきたよ』
  と連絡をもらって、それでN子ちゃんと再会したんだよ。
  N子ちゃんが教師になってたことも知らなかったし、
  急に連絡が来てびっくりした」

たしかに、なかなかの偶然ではありますよね。

ただ、N子が教師になったのは、

間違いなくK先生の影響なんだろうと思うところはあります。

それくらい、K先生が私たちに与えた影響は大きかったのです。

私は変な方向に進んでしまいましたが。

K「2つ目はYちゃん。
  USJユニバーサルスタジオジャパン)ができたばかりの頃、
  家族3人(先生夫婦と息子さん)でUSJに行ったんだよ。
  京都に知り合いが居たんで、その知り合いに会ってから
  USJに行くという行程にして、京都駅の立ち食いそば屋で
  そばを食ってたら、妻が店の奥を見ながら
  『あれ、Yちゃんじゃない?』
  って言うんだよ。
  自分の背中側のほうだったんで、
  最初、自分には見えなくて、
  ただ、さすがに京都の立ち食いそば屋に居ないだろう、と
  思いつつ振り返ったら、たしかに似てる。
  本当に小学校時代のまんまみたいなYちゃんが居て、
  いやでもまさかな、と思いながらそばを喰ってたら、
  妻がそっちのほうに手を振ってて
  見たら向こうもこっちに気づいて手を振ってて、
  Yちゃん本人だったんだよね。
  Yちゃんは、関西に実家がある男性と結婚することになり、
  そのご実家に挨拶に向かう途中で
  京都の立ち食いそば屋に寄ったら
  偶然再開したんだよ」

これは本当に、マジで!? って話ですよね。

たしかにこれはミラクルと呼んでもいい出来事だと思います。

K「そんなタイミングで会っちゃったから、
  その後、結婚式にも呼んでくれて、
  そこでさらに教え子数人と再会したんだよ」

私「へー! じゃあ、女子たちは
  卒業しても結構つながりがあるんですね」

私は中学から別の道に行ってしまったのもありますが、

同じ中学に行ったモチも、同級生とはほぼ音信不通。

私たちが中学生の頃って、まだ携帯もなかったですから、

学校が別になっちゃうともう連絡取らなくなっちゃうんですよね。

わざわざ家の電話にかけるって感じもなくなりますし。

K「女子は、卒業後も年賀状を送り合ったりとかで
  結構連絡は取ってたみたいだよ」

なるほど。

年賀状なんて、私、ほとんど送ったことがなくて、

もらっても送らないレベルなので、

当然ながらそのうち来なくなるんですよね。

そして関係も途絶する、と。

K「3つ目のミラクルが将軍くんかなぁ」

でも、私の場合は、偶然というよりも

私がググって見つけてFacebookに友達申請を送りつけただけなので、

先生側からしたらミラクルかもしれませんが、

からしたらただのネットストーカーの結果でしかないのです。

ただ、Y(男子)が私の会社に営業メールを出してて

そこから繋がれたのはちょっとしたミラクルと

言っていいかもしれませんが。

しかし、普通に先生やってたら、

こんな頻度で教え子と再会するって

そうそうなさそうなので、

なんか縁があるのかもしれませんね。

 

懐古

私が通っていた小学校では、

展覧会と学芸会を毎年交互にやるという習慣がありました。

と書くとわかりづらいかもしれませんが、

私の場合、奇数年(1、3、5年)が展覧会で

偶数年(2、4、6年)が学芸会という感じです。

学芸会とは、ご存知かもしれませんが、

生徒たちがちょっとした劇をするというイベントです。

で、私たちが6年生のときの学芸会で

「エルコスの239時間」という劇をやったのです。

ググるとすぐわかるのですが、この劇は、

劇団四季の演目のひとつなのです。

 

実は、ニッセイ名作劇場(今はニッセイ名作シリーズになったらしい)

という活動(?)があり、

子供たちを日生劇場に招待して

劇団四季の演劇を鑑賞してもらうというイベントが

毎年開催されております。

下記を見るとわかるのですが、

1991年、私が6年生のときに

エルリックコスモス(エルコス)の239時間」

が上演されました。

www.nissaytheatre.or.jp

小学校のイベントで、私たちはこれを観に行ったんですよね。

そして、先生がたも生徒もえらく感動したんだと思います。

正直、私はあまりよく覚えてないのですが。

 

で、やっぱり劇団四季がやるような劇なので、

子供が学芸会でやるような劇ではないんですよ。

(と言いつつ、やってた学校はちょくちょくあったようですが)

なぜ、学芸会でエルコスをやることになったのか、

それはきっとK先生の情熱がほとばしった結果なのだろうと

予想はつきつつも聞いてみたわけです。

K「あれはねぇ、日生劇場で観て感動しちゃったんだよ。
  で、学芸会はこれしかない、と。
  でも、2組の担任のN先生に相談したら
  『いや、無理だろ』と言われたw
  『あれは子供がやる劇じゃないし
  脚本だって無いじゃないか。どうやるつもりなんだ』と。
  私も若かったんでねぇ、劇団四季に電話して
  どうしても学芸会でやりたいんです
  悪用とかしないので台本をください
  ってお願いしたら、向こうが折れて台本をくれたんだよ。
  それを夏休みの間に、N先生とふたりで
  子供用に書き直した。
  だからあの台本はこの世にひとつだけのオリジナル」

いやぁ、すごい行動力。

そして、今だからもう書いても大丈夫だろうと思って

上記を書いてますが、おそらくこういう先生が多かったのでしょう。

現在、劇団四季のサイトには

「台本とかは一切渡さないからそういう問い合わせしてくんな」

という注意書きされてたりします。

K「そうそう。小学校教師になったN子ちゃんも
  今6年生の担任をしてるんだけど、
  学芸会で自分のクラスでエルコスやったみたいだよ」

と、このようにK先生の影響が連綿と受け継がれていっているのです。

本当に、熱く、いろんなことをやってくれた先生だったので、

子供たちもいろんなことを受け取ったのでしょうね。

そしてエルコスといえば、ひとつ気になることがあるのです。

実は先日 Y と話してたときに

Y「エルコスでは、一番やりたくない博士役をやらされた。
  他の役に立候補しても全部落とされて
  強制的に博士をやらされた。
  あれは絶対、K先生が最初から俺を博士にするのを決めてた」

という妄言を聞きまして、

私やモチの記憶では、Y はノリノリで自分から進んで

博士をやってたはずなので、そんなバカなと思っていたのです。

それについてちょっと聞いてみたのです。

配役が意図的だったのかどうか。

K「まあ、そういうのはあったね!
  ある程度、この役はこいつにやってほしいっていう
  イメージがあって、そうなるようにした記憶はある。
  Yは博士、将軍は悪役ってのは決まってた」

やはり、Y が正しかったのでした。

K「Yの博士と、将軍の悪役は保護者たちからも
  すごい好評で、当時はちょっと鼻高々だったよ」

Y の思いとは裏腹に、K先生は満足げでした。

面白いものですね。

 

そして、K先生と言えば肝試しなのです。

林間学校とか行く度に肝試しが開催されて、

それはそれは子供たちにトラウマを植え付けたのですが、

それについても突撃インタビューしてみました。

というか、私の記憶が曖昧なところもあり、

色々と聞いてみたいことも多かったのです。

私「林間学校や臨海学校でなにかと肝試しをしてましたが、
  いつがどれだったかあまり覚えてないんですよね。
  年々スケールアップしてたような気もしつつ、
  でも6年のときはそれほどでもなかったような。
  みんなが一番パニックになったのって、
  いつのでしたっけ?」

K「4年生のときの清里だと思う。
  みんなが泊まってる建物の裏庭みたいなところに
  夜集合して……」

私「そこで、先生がその土地にまつわる
  怖い話をしたんですよね」

K「そうそう」

私「で、今でもこの辺には人骨が埋まってる、
  みたいなオチをつけたところで先生が
  『それ骨じゃないか!?』
  とか言って懐中電灯で地面を照らすと
  骨らしきものが半分地中から出てて」

K「そうそうw」

私「あれは……いったいなんだったんですかw
  ああいうのを、先生たちで会議して
  肝試しでなにをするかとか話し合うんですか?」

K「そうそう。私は怖い話をして脅かす係だったんだよ。
  前日に、理科室の骨の標本から1~2本、骨を拝借して
  持って行って軽く埋めておいた」

そんなバカなw

私「骨が出たとき、生徒の半分くらいが
  パニックになってましたからねw
  女の子たちなんてほとんど泣いてましたよ」

K「ちょっとやりすぎだったよねぇ。
   終わってから反省会も開かれて
  『あれはやっぱり刺激が強すぎましたね』
  なんて話も出たよ」

と、こんな感じで当時の裏話を聞けるのも一興なわけです。

私「あと、もう一個が笹子トンネルですよ」

K「ああ、なんかあったねぇ。
  どんな話だったっけ」

私「たぶん、下田に行った6年生のときだと思うんですが、
  バスで向かう途中に笹子トンネルを通るという話があって、
  下田に行く数日前、先生が急に
  笹子トンネルの怪談をしたんです。
  ある親子が、車で旅行に行くときに笹子トンネルを通って、
  トンネルの中で事故を起こしてしまうんです。
  前の車か壁だかわかりませんが、猛スピードで
  ぶつかってしまって、助手席に乗ってた男の子は
  シートベルトをしてなくて、
  ぶつかった衝撃で前方に吹っ飛び、
  頭でフロントガラスをぶち破ったんです。
  で、その状態で身体が重力で下に落ちた際に
  破れたガラスで首が切断されて、
  その頭が今だに見つかってない、
  みたいな話でした。
  なので、笹子トンネルを通るときは
  窓を見るな、と。
  暗いトンネルで、鏡のようになった窓に
  自分のじゃない顔が写るかもしれないから……
  って話を先生がしたんです」

K「そんな話、したねぇ。
  いやぁ、笑っちゃうなぁ」

ただ、ネットで探しても笹子トンネルの

そんな話出てこないんですよね。

ということで、気になっていた質問。

私「あれは、先生の創作だったんですか?」

K「完全に創作」

くそ! この男!

あれで、当時の私たちがどれだけビビったと思っているのだ。

 

もうひとネタ。

K「将軍くんのお母様からもらった
  手編みのセーターは、本当に忘れられない。
  そんな手作りのものをくれる保護者なんて
  居ませんから。
  教師生活30年。菓子折りとかをくれるかたは
  たまにいらっしゃるけど、
  手作りのなにかをもらったのは
  あれが最初で最後。
  ありがたかった。
  結婚して、荷物整理して引っ越すときも
  やっぱり捨てられなくて、
  そしたら妻から
  『それ元カノからもらったんでしょ
  なんで捨てられないの』
  とか言われて、
  『いや、これは将軍くんのお母様からいただいた
  大事なものなんだ』
  って言っても
  『そんなわけないでしょ!』
  って信じてもらえなかったんだから」

と、うちの母親のセーターが大変ご迷惑をおかけしたご様子。

これは後日、母にも報告しておきました。

そんなこんなで、積もる話が山ほどありまして、

話が尽きることもなく、気づけば19時を回ってました。

そう言えば2時間とか言われたから、

そろそろ追い出されるのかなと思っていたら、

店員さんがまだ注文を取りに来たりするので、

串焼き盛り合わせとか頼んで、もうちょっと居ました。

結局20時半くらいまで居させていただきまして、

最初に店員さんの前で「久しぶりです」を連呼してたので、

お店側が気を使ってくれたのだろうか、

と良いほうに解釈することにしました。

2軒めに行ってもよい時間ですが、

K「もう歳だから、そんなに体力なくて」

というのでここで解散となりました。

 

おまけ  

帰り道

K「来年くらいに、集まれるメンバーだけで
  ミニ同窓会みたいなことができるといいね。
  将軍くんを、同級生の女子たちのLINEグループにあとで入れるよ」

と言っていただき、

私「来年と言わず、今年やりましょう!」

と息巻いたものの、今年も残り3週間。

無理そうな気はしつつ、私はテンション高かったので

そんなやり取りをして別れました。

 

帰りの電車の中で、早速先生からLINEが来まして、

同級生女子のLINEグループに入れてもらいました。

正直、どういうテンションで書いたらいいか困りました。

おそらく、こんなにノスタルジーに対して

ハイテンションなのは私だけだと思うので、

このテンションで行ったところで向こうが引くだけだろう、と

それくらいの冷静さは持ち合わせているのです。

LINEの参加者を見てみると、

ほぼ全員本名で登録していて、

そしてほぼ全員名字が変わっていて、

ああ、みんな結婚したんだなと

なんだかホッとしました。

何回かメッセージを投下してみると、

既読10

とかなるものの、返事をくれるのは特定の2名くらいしかいなくて

「あれ、あんまり歓迎されてない雰囲気かしら」

と、ちょっと腰が引けたのでした。

こんな空気で

私「同窓会しようぜ! 調整さん用意するね!」

とか言って、用意したものの、

自分しか予定を書かなかったりした日には

心が折れてしまうので、

どうしたものかと思案しているうちに

今年は終わってしまったのでした。

来年こそ、なにかできるといいな。